15年戦争資料 @wiki

日中歴史研究報告書要旨

最終更新:

pipopipo555jp

- view
管理者のみ編集可

日中歴史研究報告書要旨



 日中歴史共同研究報告書の要旨は次の通り。

 【南京大虐殺】

 ▽日本側 日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。犠牲者数は20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がある。中国側の30万人以上という犠牲者数は南京軍事法廷に依拠している。食い違いの背景には虐殺の定義や対象地域、期間などの相違が存在する。虐殺の原因は、憲兵の数が少なく食糧や物資補給を無視した攻略で、略奪行為が起きたと指摘されている。中国軍の民衆保護対策にも欠如があった。(波多野澄雄・筑波大教授、庄司潤一郎・防衛研究所第一戦史研究室長)

 ▽中国側

 日本軍は南京で多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。重大な国際法違反だ。英国人や米国人の住居も略奪の目標にされた。日本軍は慰安所を設け、強制的に多くの女性を「性奴隷」とした。11歳から53歳までの中国人女性が強姦された。東京裁判は占領後1カ月間に南京市内で2万件近い強姦事件が起き、同6週間で市内や近郊で虐殺された民間人と捕虜は20万人以上と認定、南京軍事法廷は犠牲者数が計30万人以上とした。(栄維木・社会科学院近代史研究所「抗日戦争研究」編集長)

 【日中戦争】

 ▽共通見解 被害を受けた中国民衆にとって、日本による侵略の記憶は深刻だ。

 ▽日本側 戦場となった中国に深い傷跡を残した。原因の大半は日本側がつくり出したと言わざるを得ない。共産党軍のゲリラ戦に対抗するための日本軍の粛正作戦は過酷で、住民の虐殺や略奪を中国側が「三光作戦」と呼んだ。(波多野、庄司両氏)

 軍人だけでなく、中国の非戦闘員に多くの犠牲を強いた。物資と食糧確保のために手段を選ばない討伐作戦は「三光作戦」という国際法違反行為の背景となった。重要労力緊急動員の秘密命のもとに日本軍が出動し「浮浪遊民」を徴発して日本や満州に送り込んだ。

 遺棄化学兵器問題や慰安婦問題など、日本軍による戦争犯罪を問い、戦後補償を求める運動が世代を超えて展開され、日本政府を相手とする裁判が今日まで続いている。(波多野氏)

 ▽中国側

 日本軍国主義による全面的な侵略戦争だ。中国人民に深刻で重大な民族的災難をもたらした。植民地化を企てて虐殺、女性のじゅうりん、細菌戦や化学戦を行い、南京大虐殺を起こした。不完全な統計では、約3500万人が死傷した。人民は抵抗し、国民、共産両党が率いる抗日軍は反撃に出た。中国人民の抗日戦争における偉大な勝利で終結した。民族の団結と、世界反ファシズム同盟国との共闘の結果だ。日本も軍国主義を捨て、新たな平和的発展の道を歩み出した。(陶文しょう・社会科学院米国研究所教授)

 【日本の拡張政策】

 ▽日本側 日本で内閣制度が成立した1885年ごろは、軍備拡張も穏健だった。(北岡伸一・東大教授)

 帝国主義国になるか植民地になるか二者択一しかなく、帝国主義になったというのが日清戦争の通説だ。(川島真・東大准教授=外部執筆委員)

 ▽中国側 日本は古代から朝鮮半島獲得をあきらめていなかった。豊臣秀吉は朝鮮征服を意図し兵を挙げた。幕末の吉田松陰は対外征服戦争を主張し、門下生だった山県有朋、伊藤博文は強力な軍を組織した。軍国主義が強まり日清戦争を引き起こした。(しょう立峰・社会科学院日本研究所前所長、徐勇・北京大教授)

 【中国共産党】

 ▽日本側 1940年後半から日本軍は共産軍の脅威と実力を認識。共産党の指導による農民大衆の経済的基盤確立に向けた「減租減息」運動の全面的展開や「大生産運動」などで43年以降、抗日根拠地は徐々に拡大した。(波多野氏)

 ▽中国側

 共産党は日本の侵略を告発するとともに抗戦への参加を呼び掛け、抗日救国運動を全国に広げた。共産党が指導する抗日ゲリラは極限状態の中で奮戦、日本軍に打撃を与えた。抗日運動の波は中華民族全体に広がり、最終勝利へと導いた。正義が大衆の心をつかみ抗日救国運動を盛り上げた。(臧運こ・北京大副教授、陶氏)

 【盧溝橋事件】

 ▽日本側 発端となった最初の発砲事件は「偶発的」で、現地では局地的解決の努力がなされた。(波多野、庄司両氏)

 ▽中国側 日本演習時の銃声が引き起こしたが、この銃声がどこから来たかを示す詳細で正確な史料は見つかっておらず、事件が偶発的に起きた可能性がある。ただし、事件は日本の中国侵略政策と大きな関係があり、必然性もある。(栄氏)

 【冊封体制】

 ▽日本側 大陸の文化が伝わることによって日本という国が誕生した。(小島毅・東大准教授)

 19世紀の前半まで、東アジアには中国中心の国際秩序が成立。周辺国の多くは中国から冊封を受け朝貢していた。ほぼ日本だけが中国との対等を主張、臣下の礼を取ったことは例外的だった。(北岡氏)

 遣隋使は、隋に朝貢はするが、冊封は受けないとした。隋は朝鮮3国には冊封か戦争かで臨んだが、日本の姿勢は受け入れた。(古瀬奈津子お茶の水女子大教授=外部執筆委員)

 平安後期から江戸時代の宋から清時代の中国のイメージは希薄になっている。遣唐使廃止後の日本が独自性を強めて、交流の歴史で唐代以前のような強いインパクトを与えなかった。(菊池秀明・国際基督教大教授)

 ▽中国側 中国を頂点に、国家間の上下関係を明確にする東アジアの伝統的制度で、地域に平和と発展をもたらした。海外に門戸が開かれており、コロンブスらの航海とともに、グローバル化の幕開けを演じた。日本は冊封体制の外縁に位置しており、15世紀半ばまで抜け出せなかった。現代日本には、大陸文明にはぐくまれた事実を否定しようという知識人もいる(しょう氏、徐氏)

 【生物・化学戦】

 ▽日本側 共産党の根拠地とみなされた村落を焼き払う作戦の一つが化学弾薬(毒ガス)の使用だった。(波多野氏)

 ▽中国側 細菌戦部隊「731部隊」と第100部隊は中国人に対し人体実験、生体解剖を実施した。関東軍は化学部なども設け、生体を使用した化学兵器実験を重ねた。日本軍は実際にコレラ菌、ペスト菌を散布した。(臧氏、陶氏)

 【琉球処分】

 日本側 琉球は日清両属の位置にあった。日本は着実に琉球の帰属へ既成事実を積み重ねた。抵抗はあったが支配層が中心で、民衆には良い方向への変化だった。(北岡氏)

 中国側 琉球は中国の冊封体制下にあった独立国だが、日本は横取りした。琉球を併合した日本は朝鮮半島へ拡張行動をエスカレートさせた(徐氏、米慶余・南開大教授=外部執筆委員)

2010/01/31 22:15 【共同通信】


目安箱バナー