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再び「殉国日記」について 2009,9,27

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pipopipo555jp

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再び「殉国日記」について



これは
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-66.html#comment-top
こちらのコメント欄に対する、W氏へのレスです。オフトピについての長文の討論となりますので、ブログ主さんへのご迷惑を避けるため、弊ブログへのリンクと致しました。

なお再反論は、当頁末尾にコメント欄を設置しましたので、Wさんに置かれましても、こちらにてお願いします。

敬具


「殉国日記」内の主要な文献をファイルしましたので御報告します。
■沖縄作戦 殉国日記 index
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html

早々と「気がついたことを纏め」た方がおられますが、その“飛ばし”記事の中に事実誤認や誤解を招くやしれぬ独断がありますので、以下に事実を指摘しておきます。


1)
W氏
5頁赤松版「戦斗の概要」の一部だが24:00船舶団長が丸木船で阿嘉島から来島は時間を2時間以上遅くしている。 

これでは「丸木舟」とし、後の「赤松部隊長戦場日記」では「船舶団長基地隊長以下十五名座間味島ヨリ橇船ニテ阿波連ニ上陸渡嘉敷島本部ニ来ル」となっている矛盾を指摘すべきでしょう。その元である辻版「陣中日誌」では「橇舟」です。

なお「22:00以前」が正確な時間だという論稿はどこにも見たことがありません。今のところこの到着時間は諸説フンプンで議論の『紛れ』にはもってこいのアイテムですから、赤松アイドル派には都合がよく、また「22:00以前」が本当ならば赤松は嘘つきだ、という仮定理屈で赤松を断罪するにも便利なようです。

2)
W氏
本来丸木船にて来島というような(特攻艇2隻で来島、阿嘉島の乗務員の名までわかっている)誤った情報が赤松に伝わるはずがない。

渡嘉敷到着「一行の人員15名」は諸文献が一致するところのようです。そして、6名が特攻艇2隻に分乗し残余がクリ舟で渡嘉敷にきたことも、「石田四郎」手記、「第二戦隊戦闘の概要海上挺進第2戦隊史実資料」などを重ね合わせると事実のようです。「石田四郎」手記で特攻艇同乗者とされなかった人物も。赤松隊の「陣中日誌」で戦死者として明記されていますので(参照:渡嘉敷島に残留した別部隊員)、特攻艇以外の船で阿嘉島から渡嘉敷に渡った人物がいることは厳密証明できています。

3)
W氏
35頁「赤松戦場日記」に「船舶団長基地隊長以下15名座間味より○船ニテ来島」とある。36頁にも座間味島より渡嘉敷島本部に来たり、とある。

「赤松戦場日記」では1箇所です。36頁にもというのは転写をした中島幸太郎氏がそれを受けて繰り返したものです。此の箇所は他の箇所との字形をみても、「○船」ではなく「橇船」として良いでしょう。なお、同じく「殉国日記」所収の「皆本書信」では「橇艇」となっています。

なお、座間味はそこが巡察の出発点だということから、手拍子で書き間違えたのでしょう。

4)
W氏
36頁皆本の印鑑からしばらく皆本の書信らしい。

印鑑がなくとも幸太郎氏は、皆本氏の書信であることくを明示的に示しています。この文書は皆本氏が防衛研究所に寄贈したものです。彼が印鑑を押したのは「転写内容は自分も保証する」という意味でしょう。

W氏
37頁「戦闘準備状況を視察中たりし軍船舶隊長大町大佐24日我が渡嘉敷島対岸阿嘉島に在りて状況を判断せられ海上挺進第3戦隊は直ちに沖縄本島に転進同地に於て海上攻撃に参加すべきを決心し25日夜日没を待って○船より敵艦船群突破我が渡嘉敷島に到着直ちに転進命令を下達す。然れども時刻既に22時を経過し・・・・」 以下読み取りにくい文章が続く。

別に読みづらい文章ではありません。それよりWさんの不正確が気になります。以下のほうが書き起こしとしては正確に近いはずです。

町度三月二十一日より慶良間列島海上挺身 (ママ) 戦隊(海上特攻隊)の戦闘準備状況を視察中なりし軍船舶隊長大町大佐二十四日我が渡嘉敷島対岸阿嘉島に在りて状況を判断せられ海上挺身 (ママ) 第三船 (ママ) 隊は直ちに沖縄本島に転進 仝地に於て海上攻撃に参加すべきを決心し二十五日夜日没を待って橇艇により敵艦艇群を突破我が渡嘉敷島に到着直ちに転進命令を下達す 然れども時刻既に二十二時を経過し当時部隊は戦隊(艇乗組員)は舟艇につき出撃準備中なれども・・・


5)
W氏
ここでの皆本書信は後の皆本の説明とも、赤松の記載とも異なる。 ここにも嘘があり○は読みがたいが櫂か、櫨の可能性がある。 特攻艇ではないとの記述である。当初から、よほど大町大佐がクリ船で来島したことにしておきたかったらしい。

皆本書信での表現は
日没を待って橇艇により敵艦艇軍を突破我が渡嘉敷島に到着直ちに転進命令を下達す

です。○は「橇」です。櫂か、櫨の可能性はないでしょう。

【追記】
特徴のある橇の字は、辻中尉の「陣中日誌」からの踏襲だと思われます。
1、橇船=辻中尉の『陣中日誌』の写本
2、橇船=赤松「戦場日記」の写し
3、橇艇=皆本書簡の写し
4.橇舟=皆本直話聞き書きの写し

手書き字体は「耒」へんに「毳」に見えますが、手元の漢和辞典になく、私は「橇」だと思っていますが、分厚い字典でいつか確認してみます。

【追々記】
辻中尉が手書きで、「耒」(らいすき/すきへん)に「毳」と誤記したのは、消耗の「耗」からの連想ではないかと思います。図書館で大きな辞書いろいろ見ましたが、「耒」へんに「毳」という字はありませんでした。

確認した辞書は、「字通」「新潮日本語漢辞典」「廣漢和辞典」「大漢和大字典」「大漢語林」です。



6)
W氏
44頁なも皆本の直話として、・・・・何の事はない。大町大佐は戦況を正確に把握し、当然取るべき策を考えていた。

私もここではW氏と意見を一致します。昭和21年3月に語られたこの皆本直話には、後の言動に比べたらまだ正直な要素が多いと思うからです。

赤松隊の『史実』は、(1)昭和40~43年の「戦史叢書」編纂過程(2)昭和42~45年の「赤松隊陣中日誌」編纂過程(3)昭和45~43年の「ある神話の背景」と3つの過程で、赤松擁護、艇隊擁護のストーリー(=「正史」化)が進行してきました。しかもこれらは、「沖縄戦史を書き換えねばならん」という社会的背景力によって進められた営為です。

昭和21年3月の皆本直話はそうした全体的な意図はまだないと思います。頭の中にあるのは、投降した自分達の「誇り高き戦い」と、死んだ戦友たちを美しく祀ることです。そのためのバイアスは惜しみないものですが。


7)
W氏
甲号戦備が発動された日は確か24日。この時点で赤松は昼夜兼行で船艇に爆雷を装着すべきであったが怠った。 この不始末を隠すためにさまざまの嘘を考案し

甲号戦備とマルレの出撃命令とは違います。

これは私の私見ですが、赤松元戦隊長が最初から一番隠したかったのは、秘匿壕の整備の遅れ、泛水路整備の遅れ、連絡艇の泛水整備のための部隊内連携作業の不備など、戦隊長として基本的な軍務の不首尾ではなかったかと思います。

そうしたことを監察にやってきた大町大佐や鈴木少佐たちに「泛水したのに出撃できず」の責任を押し付けたのではないでしょうか? 複廓陣地に篭っての「持久戦」の間、勤務隊員や整備隊員の怨嗟の目をそらすため、そうした言い訳は繰り返され、繰り返えされるうちに赤松戦隊長の頭の中では、「妄想」が「真実」と化していったのかもしれません。

そうした赤松戦隊長の粉飾意図が反映していないクールな筆致の、辻版「陣中日誌」は落丁がありながらも真実を語っているような気がします。


ご意見



(ファイルから溢れたあと)

  • >>わださん
    >>地図を見れば阿波連湾の西方に渡嘉敷島はなく、海面です。

    >一体何を仰っているのか?
    >地図を見ながらものを言ってくださいね。阿波連湾内の西のほうという場所はありますよ。

    いくら地図を見ても阿波連湾の北・東に渡嘉敷島の陸地は存在しますが、阿波連湾の西に場所は存在しても海上であり、陸地としては(名もない ?)離島しか存在しません。
    北もややむつかしいと思います。 それに対して阿波連部落を基点にすれば、阿波連湾から見て西北に陸地は存在します。 これ以上は見解の相違ということで、地理のことは言いません。 

    私は、石田少尉手記に関する資料的評価は全然最初から変えていないのですが。 ?  最初、キー坊さんの所で石田少尉が赤松隊に食料で世話になったことだろうとの趣旨を書いておけば、当然わかってもらえると思ったのですが。 
    -- (和田) 2009-10-30 14:38:45

  • >>和田さん
    1、「軍事研究」某(失念)氏は迂闊に信用できない、同意有難うございます。
    2、捜査権のない私たちは事実検証ができることから攻めていくのが健康な姿です。陰謀論で検証をすっとばしたい誘惑には反対です。
    3、和田さんが引用した文章は
    「戦史叢書」が「嘉敷島阿波連西方海岸に上陸し二二00ころ海上挺進第三戦隊本部に到着した」
    「ある神話の背景」が「阿波連西方の、夜目にも白い清浄な浜に着いた。」

    阿波連湾の形は¬の字でその角っこが阿波連。海岸はそこから西と南に伸びています。「阿波連西方海岸」は阿波連湾のなかにあります。
    あなたの無茶ブリでは、「阿波連湾」とは湾内の海の中のことだから幾ら西へいっても海しかないでしたね。だとしたら、戦史叢書は離島のことなのですね。
    4 これ以上はご自分のHPで図入りでやってください。 ご覧のように溢れちゃったからおしまいです。

今後は・・・・
【投稿上のご注意】
無遠慮で配慮のない投稿は困ります。

  1. 1回の投稿は短ければ短いほど効果的です。どんなに長くても全角文字1.000字以内でお願いします。
  2. 溢れて「続き」を投稿なさっても、内容の如何にかかわらず機械的に削除します。長い投稿は下書きのうえ投稿してください。
  3. また、適切な空行がなく読み手に苦痛を強いるような投稿は、内容の如何に拘わらずスパム投稿として削除します。空行は6字分の消費にすぎません。
  4. 引用符のないものや引用元が明記(急ぎでも言及)してないものは史実検証討論には有害です。また○付数字など、機種依存文字を使用しているものも同様です。これらも削除します。






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