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チェック資料:「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」

最終更新:

pipopipo555jp

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管理者のみ編集可
江崎孝氏による転写物
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/9c9d509c28d9face63237e388e44e681
チェック用 週刊新潮記事お持ちの方は、誤記指摘意見、書き込んでください

『週刊新潮』 2009年7月16日号
日本ルネッサンス・拡大版 第370回

「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」

櫻井よしこ  


引用者ひとこと

江崎孝氏は、週刊新潮発売後1週間たって櫻井よしこ氏の記事全文をブログに載せた。江崎氏はすでに7/9にその紹介文を載せているが、そこでは、櫻井よしこ氏が書いてないことまで「書いてある」と「予告」する、そんなミステリーまで起きている。
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-74.html
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/ed1b1161069f39b5ff333f0848ed21b3

江崎孝氏の「沖縄情報戦」での役回りには飛びぬけた興味がもたれるが、まずは櫻井氏の文章の吟味に入りたい。・・・江崎氏の労多き転写作業に謝意を表するとともに、やむを得ず起きたであろう誤植をチェックしたいと考える。そうしないと、櫻井よしこ氏の誤謬も明らかにし難いからだ。

「軍令」「軍命」・・・言葉の怪かし

江崎氏は櫻井氏の文章を転記するにあたって、櫻井氏が「軍命」と書いたものを殆ど全て「軍令」と誤記している。「ぐんめい」と「ぐんれい」では仮名漢字変換の入力が明らかに違うのだから、これはご自分の脳の記憶領域に「軍命」という概念を「軍令」と刷り込んだ、江崎さんならではの思い込みを反映しているのであろうか? それとも、単にOCR(光学式文字読取装置)の図形パターン認識の誤りに過ぎないのか?

ともあれ「軍命が有ったのか無かったのか?」を問うとき、軍命否定派は「集団自決の前日または当日に隊長からの直接命令」が有ったのか無かったのか? と条件を限定する(軍命A)。条件を限定すれば、軍命を否定するのに有利であるからだろう。

対して軍命を肯定する人々は、「集団自決の前日または当日に隊長からの直接命令」というふうには「軍命」を限定してはいない。軍が住民に対する既定の指導方針として「玉砕」を指示していれば、米軍上陸によってその指導方針が自動的に発令される。渡嘉敷島では北山避難命令を「玉砕命令」と受け取り、来るべきものが来たと受け取った住民も多い。また事前の手榴弾の配布は、こうした既定の「玉砕」命令を実行させる号令として受け取られた。こうした状況を総合して「軍命」ありと理解しているのである(軍命B)。

軍命否定派は、この「軍命」という言葉の使い方に関するAとBの違いを、作為的に曖昧にする。限定的な「軍命A」だけを否定し「軍命B」を実証的に否定する努力はしない。「軍命A」だけを否定して、あとは「言葉」の印象操作、読者の頭の中での概念混同によって、「軍命Bも否定した」という怪かしを作り上げるのである。

この「軍命」という言葉の怪かし操作。・・・・限定の仕方はすこし違うが、限定したものを否定して全体を否定したことにしてしまう同様のトリックを、大阪高裁の第2審判決がキッパリと分析していたことを思い出した。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1476.html
「沖縄「集団自決」控訴審判決の要旨」の「判断の大要」の(2)参照

  • (引用者注)※アンダーラインは、脱落の補充

(pre-)

沖縄戦での悲劇、集団自決。そこに運命軍命はなかった、と訴えた沖縄のドキュメンタリー作家らの言論を地元メディアは黙殺した。意見表明さえ許されない沖縄の言論封鎖社会の実態とは、果たして如何なるものなのかジャーナリストの櫻井よし子氏がレポートする。


沖縄で生まれ育った上原正稔氏は、長年、沖縄戦を取材してきた。戦争という極限状態は、個々の人間の真の姿を否応なく剥き出だし剥き出しにする。醜さとともに、至高の美しさも見せてくれる。その人間模様に魅せられて、上原氏は、ドキュメンタリー作家として戦時下の人間の行動を追ってきた。

沖縄戦の悲惨さが目立つ際立つ理由のひとつは、日本軍が住民を守るどころか足手まといとして突き放し、死に追いやったとされてきたことだ。米軍上陸を目前にした1945年3月、日本軍が住民に命じたとされる集団自決である。

“集団自決の軍令軍命”を最初に報じたのが『鉄の暴風』だ。50年に朝日新聞から、後沖縄タイムスから出版されている。ノーベル文学賞の大江健三郎の氏は同書を基に『沖縄ノート』を著し、集団自決は軍令軍命だったとした。

沖縄生まれの上原氏は、軍令軍命は当然あったと信じていたが、取材を通して軍令軍命はなかったと突き止め、衝撃を受けた。氏は07年沖縄の有力紙『琉球新報』での連載「パンドラの箱を開ける時、沖縄戦の記録」でそのことを取り上げようとした。すると、信じ難いことに「新報の方針に反する」として掲載を拒否され連載は中断されたのだ。

異論を封じる琉球新報をはじめ、沖縄のメディアの異常さについて、氏は、小さな文芸誌『うらそえ文芸』第14号(09年5月刊)の星雅彦編集長(77)との対談で詳細に語った。続いて両氏は6月9日、記者会見も行った。

沖縄出身の言論人が、公式に記者会見で集団自決軍令軍命説を否定したのは初めてだ。それだけでも報道する価値はある。だが、地元の2大紙、琉球新報と沖縄タイムスは完全に無視した。両氏の記者会見開催までの経過を辿ると、沖縄のメディアが抱える欠陥とその偏向体質が見えてくる。

7月2日、両氏に那覇市内で会った。上原氏は沖縄の人間にとって、集団自決軍令軍命説は「生まれたてのヒナ鳥が最初に見たものを母親と思い込む刷り込みのようなもの」だと語った。

「私は今66歳、沖縄に生まれてアメリカ統治下で育ちました。ロングセラーを続ける『鉄の暴風』で刷り込まれた沖縄戦の印象は長年私の中に残っていました。集団自決の軍令軍命は、当たり前のこととして、あったと。何の疑いも抱かなかった。曽野綾子さんが(73年に)『ある神話の背景』を発表して、軍令軍命はなかったことを詳述したときも、そんな話が本当に成り立つわけがないというくらいにしか、読めなかった」

氏の沖縄戦の取材は80年代から始まり、83年には「1フィート運動」を立ち上げた。

「沖縄戦に関するアメリカの映像資料などを収集し、戦争の実態を伝えていく運動です。わずか5ヶ月で1000万円が集まりました。しかし、金目当てで活動に参加する人々の醜さも見た。反戦・平和運動とはこんなものかと嫌気が差しました」

  • (引用者注)沖縄の「1フィート運動」は、81年国際軍縮年に向けての核廃絶運動「10フィート運動」を真似た沖縄版である。どちらも集めた募金によって、米国公文書館から米軍が撮影した記録フィルムを買い付ける、という共通性がある。

氏は自分を反戦・平和の闘士と誤解してほしくないと強調する。戦争で人間が試され、千差万別の究極の物語が生まれる。その人間の姿に興味があると語る。

沖縄戦の取材を深めた氏は、85年、沖縄タイムスに「沖縄日誌」を150回にわたって連載した。

「戦時中のニューヨクニューヨーク・タイムスの報道に興味を持ち米国の公文書館などで資料を読み漁り、沖縄に紹介したのです。統治当時、僕はまだ、集団自決は軍令軍命だという前提に立っていました」

変化は突然やってきた、氏自身が渡嘉敷島を訪れたときだ。同島では住民300人以上が赤松喜次郎大尉の命令で集団自決をしたとされていた。曽野綾子氏が丹念な取材で軍令軍命説を覆したのも渡嘉敷島でのことだ。

「僕はグレンという米軍人の手記の内容を確認するために渡嘉敷に渡ったのです。そこで当時のことを知る数少ない生き残りの金城武則武徳さんと大城良平さんらから「軍令軍命などなかった」と聞いた。心底、驚いた。

大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。赤松大尉を問い詰めた大城さんは、住民を死なせるので機関銃を貸してくれと村の指導者が言ってきたが赤松大尉が断ったことを知ったそうです。僕の先入観は真っ向から否定され、崩れていきました」

  • (引用者注)上原正稔氏が金城武徳氏や大城良平氏に会って心変わりしたという年時期が明記されていない。それまで「軍命説」を信じていたものが、その信念を逆転させるに至ったのにはよほどの根拠があったと思われるが、上記の記述はそれを説明しきれてはいない。大城良平氏の手記は既に「沖縄県史10巻」1973年に掲載されていたのだし、金城武徳氏の「渡嘉敷村史」掲載手記を読めば、1945年3月26日~27日に北山(ニシヤマ)に避難した村民達は、命令が「避難命令」ではないことを感じたという描写がある。上原正稔氏の信念の転回、その原因は事実探求の結果というものではなく何か別のものだったかもしれない。「住民を死なせるので機関銃を貸してくれと村の指導者が言ってきたが赤松大尉が断った」これが赤松氏の真実だったとすれば、彼はなぜ「村民が結集していることすら知らなかった」という手記(1971『潮』)を書いたのだろうか? どちらかが明確なウソである。上原氏が赤松元隊長の信奉者と現在自認するからには、こうした赤松氏の矛盾多き言動をどう解釈すべきか十分に説明する必要があるだろう。

  • (キー坊さん)「大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。」 ・・・この上原正稔の発言は問題です。「自決未遂」を言いたかったかも知れないが、大城良平の奥さんは、金城つるこの父親に頭殴られたが、一命を取り止めているのです。(『集団自決の真実』p160)・・・この辺に、上原正稔のジャーナリストとしての資質を疑わせるものがあります。

「沖縄の人々の責任」


実は上原氏は、このときの取材の成果を96年1月1日から同25日まで琉球新報で報じている。連載「沖縄戦ショウダウン」には、赤松隊長の副官だった知念朝睦氏の言葉が、次のように引用されている。

「赤松さんは自決命令を出してない、私は副官として隊長の側にいて、隊長をよく知っている。尊敬している。嘘の報道をしている新聞や書物は読む気もしない。赤松さんが気の毒だ」

  • (引用者注)知念朝睦氏は、赤松隊長の副官の一人だが、赤松氏の傍にずっといたわけではないことは、1970年に編纂された「陣中日誌」でも明らかだし、大阪地裁での「知念証人質問」でも明らかになった。知念氏が現認してないからといって、必ずしも「命令」の存在が否定できるわけではない。

運命軍命を否定した上原報道は意外にも、96年当時、なんの非難も受けなかった。
「むしろ反応は上々でした。担当記者もよく調べたと言ってくれたほどです。けれど、人間は忘れてしまう。その後、大江氏に対する裁判が始まり、教科書の集団自決記述が問題になり、運命軍命の有無が殊更話題になりました。そして、私は琉球新報の記者から再び沖縄戦の連載を持ちかけられました」

  • (引用者注)櫻井氏の奇妙奇天烈な文章である。まるで、琉球新報が裁判が始まった後、上原氏に「軍命」の有無についての論評を書くように依頼したかのようである。どうして櫻井氏ら右派の論客は、このような見え透いたトリックを使うのだろうか? きっと、自分達の支持者を馬鹿にしているのだろう、トリックには気づくまいと。

大江氏の裁判とは、座間味島で集団自決を命じたとされる梅澤祐梅澤裕元少佐らが、「沖縄ノート」の著者の大江氏らを名誉毀損で訴えた裁判のことだ。05年に提訴された同裁判は、大阪高裁が「元戦隊長らが直接住民に命じたかどうか判断できない」とする一方で、名誉毀損は認めない判決を下し、現在、最高裁に上告中だ。

上原氏は先の取材で、島の元住民(引用者注)元巡査比喜喜順比嘉喜順氏から「赤松さんは人間の鑑。我々住民のために、一人で泥を被り、一切弁明することなくこの世を去った。赤松さんのご家族のためにも、本当のことを世間に知らせてください」と頼まれた。事実を知った今、赤松氏や梅澤梅澤氏を悪者に仕立て上げた沖縄の人々の責任は重いと上原氏は感じている。真実を明らかにして、両氏の名誉を回復し、謝罪すべきだと考えている。そんな思いもあって、上原氏は新たな連載の誘いを受け入れた。

  • (引用者注)任地に赴いた軍人を住民とは言わないのと同様に、巡査を住民というのは不適切です。

氏は96年の連載で取り上げた集団自決軍令軍命説を否定する記事も再度書くつもりだ。だと、あらかじめ琉球新報側に説明し、連載のタイトルを「パンドラの箱を開ける時」と決めた。連載は07年5月26日に始まり、第1章は6月16日に終わった。第2章は翌週の6月19日から始まるはずだった。

「ところが、6月18日、琉球新報に行くと、担当の若い記者がとても怖い顔で、『上に来い』と。5階に行くと、別の3名の記者がいて、『これ(第3章第2章の記事)はストップする』と言うのです。理由をきくと『新報の方針に反する』『96年の沖縄戦ショウダウンと同じじゃないか』と難癖をつけて拒むのです」

上原氏は、記者が週末に上京していたことを思い出した。「大江裁判」が継続中であり、記者は否定したが、彼が大江氏にあって相談した可能性があると推測した。琉球新報との話し合いは1時間を越えた。上原氏は4人に吊るし上げらたと感じた感じて言った。

「こんなことでは連載は続けられない。第2章を載せないのなら、他の章も含めて連載を止めぞる」るぞ」。

記者が言った。

「ああ構わんよ」

上原氏が振り返る。

「薄ら笑いを浮かべ、僕を見下すような視線でした。ここまでくれば売り言葉に買い言葉。僕はすぐに記者会見を開くと言った」

だが、翌日、記者が再度、接触してきた。

「上司の当時の編集局長にうまく折り合いをつけるように言われたのでしょう。彼は僕の長年の友人です。彼から、記者会見だけは止めてくれ・・・・・と頼まれ、僕は渋々、承諾したのです」

  • (引用者注)どっちにしても、琉球新報の期待と、上原正稔氏の隠していた思惑とが、ずれてきたことは確かなようだ。しかしそれは、双方の関係であって、一方的に論じて良いものではない。

「掲載拒否」


丁度同じ時期に「うらそえ文芸」の編集長の星氏も似たような経験をした。

「上原さんの連載中断の約ひと月後、私も琉球新報から原稿掲載を断られました。集団自決軍令軍命説を否定する内容です。文化部の部長から『今回は掲載できない』と言われました。理由は『今回今の状況にあわない』というそれだけぢしたでした」

星氏は沖縄県の文化協会会長、県立芸術大学理事長、国立劇場おきなわの理事をつとめる人物だ。そのような人物が、今、軍令軍命はなかったと公に発言しているのだ。

「私の場合は、なぜ、今まで公に発言しなかったのかと問われるべきかもしれません。なぜなら、もう40年も前沖縄の本土復帰の前から軍令軍命説に疑問を抱いていたからです。1960年代末に、『沖縄県史第9巻』の執筆を依頼され、沖縄戦の実地調査で『鉄の暴風』に出てくる地域にも足を運びました。そして発見したのは『鉄の・・・・・』の多くの間違いでした。地名、日付。極めつけは集団自決を命じたとされる梅澤隊長が朝鮮人の慰安婦と一緒に死んだと書いていた。周知のように、梅澤さんは今もご健在です。梅澤さんが軍令軍命を下したと証言した宮城初枝さんにも会いました。けれど様子がおかしい。梅澤さんのことを問うと口を噤むのです。そのときから私は軍令軍命を疑い始めたのです。

星氏は、或る日、『鉄の・・・』の取材者として活躍した大田良博氏に尋ねた。

「梅澤さんは死んだと書いてあるが、まだ、生きている、おかしいぞ」

「まあ。そんなところもあるねぇ」と太田市大田氏は苦笑いして、口を噤んだという。

「私は長い間明確な発言を控えてきました。おだやかな表現で問題提起しただけです。にもかかわらず、琉球新報は掲載拒否です」。

一方、連載中断で上原氏の言論を封鎖した琉球新報は上原氏に新しい接触を試みていた。中断から4ヶ月後、先の編集局長直々に、連載開始を依頼したのだ。但し、集団自決は軍令軍命ではないと書かないという条件が、口頭で、伝えられた。

「僕はそこで突っぱねてもよかった。けれど、連載は数年間ということだった。僕の側にも伝えたい物語がたくさんあった。いつか真実を書くチャンスもあると期待した。また連載再開の道筋をつけた編集局長をこれ以上傷つけたくない思いもあった」

  • (引用者注)この経緯は、櫻井氏が引用する琉球新報のコメント通りだったということだ。<一連の関係について問うと、琉球新報は、上原氏の連載を一方的に中止したことはない、星氏の寄稿の不採用も本人納得のことで、集団自決 法 報道はこれまでの「蓄積」と「裏付け」に基づいていると回答した>。上原氏も担当者との話し合いで双方納得づくだった。


(続く)




こうして07年10月16日、「パンドラ・・・」は再会された。だが、連載は数年どころか1年も経たずしてまたもや突然、終わった。「もう終わり」と告げられた氏は最終章の執筆に入った。

「僕は最終章でどうしても集団自決は軍令軍命ではなかったことを伝えたかった。一話完結。それでも編集者は書き換えを要求し僕は突っぱねた。琉球新報は社長を含めて協議したそうです。結論は、ボツ。ですから、連載は形としては終わっていない。最終回なら末尾に、<おわり>と記されますが、いつものように<火曜――土曜に連載>となっています」

こうした経過の末に、両氏は今年6月9日の記者会見に臨んだのだ。

  • (引用者注)上記のように双方納得づくのことを、上原氏が勝手に破棄しようとしたので、連載が中断したに過ぎない、と解するべきである。



取材対象を黙殺


それにしても、96年に上原氏の「軍令軍命はなかった」という記事を報じた琉球新報が今なぜ軍令軍命否定の報道を否定するのか。上原氏が語る。

「05年夏に始まった大江、岩波裁判、07年に問題となった教科書検定問題で、沖縄タイムスと琉球新報は、一貫して軍令軍命はあったとという論調で報じています。それで私の記事を載せるのは具合が悪いと考えたのではないか。彼らの主張の根拠の完全な否定ですから」

これでは琉球新報は、自説を通すためには事実さえも握りつぶす新聞だと言われても仕方がないだろう。

  • (引用者注)新聞にしても雑誌にしても、寄稿文の掲載は筆者と編集者の協議と同意による。合意事項を破った筆者が横車を押して良い、という理屈は成り立たない。<事実さえも握りつぶす>これは、櫻井よしこ氏がまるでプロレス応援団のように叫んでみた、だけのこと。上原氏の言説は<事実>でないものも多い。

「琉球新報も沖縄タイムスも、黙殺が得意技です。僕らの異論がなかったかのようにしようとしています」

と上原氏。星氏も彼らの陰湿な「黙殺」を感じている。

  • (引用者注)執筆者があたかも紙面を私物化できるような横車の押し方に、あきれているのではないでしょうか

「私はこの三十数年来、琉球新報で3ヶ月に1回『美術月報』を執筆してきました。ところが先の論文を巡って対立したあと、暫くたった去年3月、突然、『美術月報』の執筆から外されました・外されました。例の論文掲載を拒否した文化部部長が『星さんの文章は難しいから』と言ってきました」

沖縄のメディアの異論黙殺は本来なら取材すべき対象にまで及ぶ。大江裁判で原告の梅澤氏側の代理人を努める松本藤一弁護士が語る。

「沖縄タイムスと琉球新報は、大江氏と岩波書店を訴えた我々の裁判に関して、ひたすら我々の主張を否定するかのような報道をしてきました。しかし、提訴以来4年、彼らは一度も我々を取材していません」

松本弁護士は、沖縄のメディアはアメリカの統治下で日本離反政策の報道規制に慣れてしまったために、今も、日本を批判する言論が身についてしまったとのではないかと分析する。

集団自決の真実が余りにも無視され、不条理が横行する背景にメディアの問題があるのは明らかだ。

上原氏が、最後に、非常に言いにくいことだがと前置きして、援護金の問題について語った。

「集団自決の遺族の一部も援護金を貰っています。両深両親や親族を手にかけて、軍令軍命だと主張し、戦後、億単位のお金を受け取っている。こんな話、恥ずかしくて世界に通用しないですよ」

氏の言う「億単位」とは、定められた支給額のうち最高額の年額196万6800円に、戦後の年数を掛け合わせたものだろう。

援護金が遺族の生活の一助となっていることを誰よりも知っていたのが今は亡き赤松氏だった。氏は、すべての不条理に関して一言も弁明せず亡くなった。梅澤氏も沖縄の人々には心底、同情している。

  • (引用者注)「家族同士のいたましい殺し合い」という集団自決悲惨を味わった人々を中傷し貶めて、個人攻撃の端緒を切ったのは、星、上原両氏の「記者会見」だった。中傷攻撃は小林よしのりが引き継ぎSAPIOで増幅した。星、上原両氏にその責任をとる自覚があるかどうか、今後とも注目しよう。

メディアの役割はこうした事柄を事実に沿って報道することだ。だが、現実に上原氏や星氏は言論の場から排除され、活躍の場を奪われつつある。

一連の関係について問うと、琉球新報は、上原氏の連載を一方的に中止したことはない、星氏の寄稿の不採用も本人納得のことで、集団自決報道はこれまでの「蓄積」と「裏付け」に基づいていると回答した。

沖縄タイムスは「検討中です」と、わずか一行の回答だった。この種の言論封殺が沖縄の未来に影を落とすのだ。


(完)


江崎さんに差し上げたコメント


エッセイの書き起こし有難うございました (ni0615)
2009-07-17 22:20:41

狼魔人さん こんばんは
櫻井よしこさんエッセイの書き起こし有難うございました。おかげさまで櫻井よしこさんの文章を読むことができました。

読んだ限りでは、星、上原両氏の「軍命なかった」論の根拠は、大きな説得力を持つものでもなかったのが、少々期待はずれでした。

これは、櫻井よしこさんの「集団自決」についての勉強不足のせいで、お二人の根本が伝わらなかった為なのか、それとも、ご当人であるお二人自身に問題があるのかは、今のところ判断できません。
これからの星、上原両氏の言説は、とりわけ注目したいと思います。

ところで、星さんにしても上原さんにしても、タイムスおよび新報を中心とした沖縄論壇によって育てられ方たちなのですね。

その方々が、育ての親と違う考えをもつに至った。そういう時は普通、育ての親とは違う版元に原稿を売り込に行くのですよね。

それはごく自然ななりゆきで言論封殺でもなんでもありません。お二人はきっとこれから、「正論」とか「WILL」とかに発表する機会も増えるでしょう。新聞ならば、沖縄にも立派な支局がある産経新聞に論文を発表すればいいでしょう。

ところで、
産経新聞に「軍命」存在説の論文が載ったことは在りませんよね。「正論」や「WILL」にも。これも言論封殺全体主義なのでしょうか? そうはいいませんよね。

もしかすると単純に、産経新聞が沖縄でがんばってないか、がんばっても力が及ばないか、・・・という問題なのかもしれません。




誤記指摘、意見

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  • キー坊さん
    ありがとうございます。
    >「軍令」とあるは、全部「軍命」
    >転記ミス4ヶ所
    ご指摘反映させますので、再点検もお願いします。

    >大城良平の奥さんは、金城つるこの父親に頭殴られたが、一命を取り止めているのです
    これは注記として挿入させていただきます。 -- (ni0615) 2009-07-18 09:27:00
  • 狼魔人の転載に「軍令」とあるは、全部「軍命」の間違いですね。
    その他、私が見つけた転記ミス4ヶ所を順に書いてみました。

    沖縄戦での悲劇、集団自決。そこに運(軍)命はなかった、・・・
    沖縄戦の悲惨さが目(際)立つ理由のひとつは、 ・・・
    島の元住人、比喜(嘉)喜順氏から「赤松さんは人間の鏡。 ・・・
    突然、「美術月報」の執筆から外されました・(。)例の論文掲載を ・・・

    尚、転記ミスに関することでないですが、>「大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。」
    この上原正稔の発言は問題です。「自決未遂」を言いたかったかも知れないが、大城良平の奥さんは、金城つるこの父親に頭殴られたが、一命を取り止めているのです。(『集団自決の真実』p160)
    この辺に、上原正稔のジャーナリストとしての資質を疑わせるものがあります。 -- (キー坊) 2009-07-18 09:20:25



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