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(8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)

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1970年改本・谷本版

(8)陣中日誌 海上挺進第三戦隊(中)

(引用者注)昭和20年4月から昭和20年6月末までを(中)としました。


昭和二十年四月

四月一日晴

1 早朝より一八○○の間在空の敵機二○~三○機又飛行艇一を以て常時渡嘉敷島周辺を偵察せり。
 ○九○○ 敵駆逐艦一、渡嘉敷港に入港一○一○那覇方面に去る。

2 阿波連湾内に敵戦艦二を主力とする其の他数隻停泊中

3 慶良間海峡の敵情
 a 留利加波正面 巡洋艦二、駆逐艦五 上陸用舟艇停泊 小型舟艇にて周辺の警戒偵察。海峡の北入口に防潜網と思われる浮標を認む
 b 渡嘉志久正面、空母二、戦艦二、巡洋艦二、病院船一、上陸用舟艇一○ 警戒用舟艇四、翰送船二
 C 阿波連湾内より多数の艦船続々と南進中那覇方面への出入り激し。

4 座間味阿室島東海岸に敵四五○名上陸
 視界不良なるも敵は沖縄本島方面へ移動中なるものの如し。

5 黒島東北方渡嘉東方より高射機関砲の射撃音あり慶良間海峡の艦船水上煙幕を構成、我特攻機に対する隠蔽なり。

四月二日

 特に記録するものなく上陸したる敵は渡嘉敷島には見えず撤退したるものの如し。戦隊長各中隊長に状況を偵察せしむ。阿波連に於ける敵は一部駐留しあるものの如く其の姿を認む。主力は沖縄本島へ転進上陸したるものの如く北部海岸より光々たる明りを認む又東海岸より那覇方面には敵艦船数百隻、本島に艦砲射撃を実施。

四月三日より四月五日まで

 別に特記する事項なし戦隊は渡嘉敷方面に敵影を見ないため努めて糧秣弾薬の収集に全力を尽くし陣地構築を急ぐ。

四月六日曇

 敵情前日と変化なく阿波連方面の敵情依然として詳しからず戦隊長は捜索隊を出発せしむ

戦隊命令
一、阿波連方面の敵情は依然として詳しからず
二、戦隊は同方面の敵情捜索並びに行方不明者の捜索を実施せんとす。
三、張間中尉は捜索隊長となり第四次の人員を指揮し本六日一三○○より向七日間の予定を以て前項の捜索に任ずべし

張間中尉整傭隊鈴木軍曹外五名捜索に出発


四月七日晴

 周囲海上に敵艦船おびただしく大多数なるも本渡嘉敷島には阿波連方面の敵兵の外落着きを取り戻し戦隊は次の敵の攻撃に対する準備のための陣地の構築、弾薬、糧秣の収集に鋭意努める一方地元村民の警備指導に全力を掲ぐぺく逐次計画を実施す。

戦隊命令

一、第一中隊は現在配属中の防召兵全部を整備隊は配属防召兵二名を全員原所属に復帰せしむぺし。

二、戦隊は食糧確保のため蘇鉄澱粉を採取せんとす。

三、第二中隊は連下少尉以下五名を明八日○八○○迄に本部前に差出し前項採取に任ずべし。

四、防衛隊長は防衛隊員の大半を連下少尉の指揮下に入らしむべし

五、水上勤務隊は軍夫五〇名を連下少尉の指揮下に入らしむぺし

六、細部に関しては別に示す

七、整備隊は兵一、防衛隊は隊員一、水上動務隊は軍夫三名を明八日○八○○迄本部前に差出し楠原中尉の指示を受け野菜採取に任ずぺし。

八、明八日夕食より各隊は雑炊又は粥食を実施すぺし。(定量は一人一日三○○瓦以内とす)

九、各隊の将校全員明八日〇七四〇迄本部に集合すぺし。

十、各隊は野菜家畜類その他の物資を自由に収集することを厳禁す西方海上及び留利加波方面に位置する第一中隊の敵情次の如し。


一、対敵陣地及ぴ形勢 以前に同じ
  慶良間海峡に停泊せる敵艦船合計一四一隻、飛行艇二七、本日飛行艇慶良間海峡付近の哨戒繁し。

二、一○四○より一五四○の間敵駆逐艦一五、巡洋艦五、戦艦四、慶良間の間を往復出入り繁し、タ刻敵艦船煙幕を張る(我特攻機隠蔽のため)
 阿波連斥候は一二〇○阿波連部落内に敵を発見、本部へ報告のため伝令二名出発一六○○本部到着。
 所在不明の戦隊佐藤博彦少尉・世古収伍長、勤務隊杉本嘉一上等兵の戦死礎認、三月二十七日渡嘉志久峠斬り込突破により戦死したるものの如し。

 第二中隊の状況
 二中隊正面の敵情、前進陣地、分哨変化なし、陣地構築に専念する。

 本部陣地の状況
 敵情変化なく本部壕および食糧壕の構築に専念する。張間中尉阿波連捜索隊長となり捜索中。

 第三中隊の状況
 渡嘉敷正面の東山分哨、渡嘉敷分哨共変化なし、船舶団長護送のため攻撃艇で出発したる中島一郎少尉其の後情報不明。陣地構築に専念す。

 整備隊の状況
 1、柴田伍長以下五名那覇に於いて基地隊本部との連絡業務に従事。
 2、土肥技術伍長船舶団長護送のため出発したる儘其の後の状況不明。
 3、鈴木技衛軍曹以下六名本部張間中尉と共に阿波連捜索隊に参加。
 4、中隊長以下陣地構築、戦闘配備に着く。
  一六四○、中隊長以下○○三○の間旭沢、渡嘉志久、渡嘉敷より弾薬の収集移送に従事。
  第一中隊と共に行動したる伊藤技術軍曹以下六名依然所在不明

四月八日曇

 戦隊の状況及び装備
  上陸したる敵が沖縄本島に転進したる後鋭意陣地構築、弾薬、糧秣の集積点検に努めたる結果、次の通り判明。

  一、弾薬 小銃弾約五○○○、軽機銃弾約三○○○、重機銃弾約二○○○、擲弾筒弾約二○○及び自動短銃弾約一○○○

  二、器材 爆薬(黄色薬) 少量、爆薬棒 少量。

  三、糧秣開戦前約六ケ月分が現在人員の約ニケ月分(一日定量三○○瓦以内で)}

  四、米麦の収穫なく村民の自給自足不可能。

  五、本日より本部に於いて蘇鉄の採取をなし食糧確保に全力を揚げるに付き各隊は陣地構築に専念するよう通達。

  六、戦隊は目前の敵輸送船を再び攻撃することを計画、陣地の構築、強化に必要なる資財器材の確保を図りたる後実施の予定、攻撃時期は追って決定


 敵情
  慶良間海峡の敵艦船の出入り激しく飛行艇二機を以て渡嘉敷西岸阿嘉島東岸を旋回飛行哨戒する。前島方面には約五十隻位の艦艇集結中を望見す。
  阿波連斥候の報告に依れば駆逐艦一入港、上陸用舟艇にて敵兵五名上陸、部落内に敵兵見えず。

四月九日曇

 ○七四○第一中隊岸川少尉以下五名無事本隊に到着合流す。敵情変化なし、夜間特攻機飛来す。海峡の艦船煙幕を展開、対空射撃激し。

四月十日曇

 戦隊長水上特攻不可能になったため残余の爆雷を以て再び水上特攻を計画、第三中隊をして之を準備実施せしむる様を命令、資材器材の集積を開始。

四月十一日曇

 ○九三○頃敵兵二十数名渡嘉敷港に入港上陸、行動不明のため戦隊長左の如く新海中尉に命令し行動せしめる。

 戦隊作戦命令
 一、渡嘉敷監視哨よりの報告に依れば敵兵約二十数名は渡嘉敷に上陸せり。
 二、新海中尉は軽機関銃一を含む部下十名及び整備隊より差し出したる一ケ分隊を併せ指揮し渡嘉敷に到し陣地を占領し各種物資収集の為差出しある部隊将兵の収容に任ずべし。
 三、整傭隊長は一ケ分隊を本部に差出し新海中尉の指揮下に入らしむべし。午後敵は家畜を徴発して退去したる模様なり、我が方の損害なし。

四月十二日晴

 昨十一日敵兵退去に伴い本部より物資収集の将兵再び出発する。敵情変化なし、沖縄本島の戦線嘉手納中部より南へ進行し数十の照明弾夜を徹して打上げ、又那覇以南の南部戦線には空襲艦砲射撃を熾烈に実施中。

四月十三日晴

 敵情 慶良間海峡の艦船 戦艦一、駆逐艦六、大小艦艇五四、飛行艇三八、那覇 残波岬、前島方面より阿波連方向に忙しく行動

 儀志布、座間味間の海峡に機雷を設置したる模様、点々と浮標を発見する。

 タ刻一八○○頃 留利加波方面で小銃音聞こえ舟艇三を以て約三十名上陸せる模様、一九三○頃退去する。終日グラマン四機、飛行艇一を以て絶えず哨戒す。

四月十四日晴

 慶良間海峡の敵情変化なし渡嘉敷島に毎日上陸する敵の行動依然不明 目的判明せず、唯家畜の徴発あるも水浴したり又部落入口付近を砲撃、阿波連には一部常駐しある模様なり。

四月十五日晴

 一、予て計画ある爆雷を以て水上特攻の為、第三中隊木村伍長以下軍夫八名、渡嘉敷村落より爆雷運搬作業を実施中、上陸しある敵に発見され交戦戦死す。

 二、阿波連より渡嘉敷に移駐行動中の第一中隊勤務隊塚本、加藤上等兵茶畑付近にて敵と交戦戦死す。

 三、第二中隊鈴木少尉以下二名所在不明の勤務隊林一等兵捜索の為出発す渡嘉敷旧農業会裏山凹地に遺体を発見埋葬す。

四月十六日

 慶良問海峡の艦船減少模様なるも渡嘉敷島周辺の警戒特に厳重なる模様、敵は我が方の行動察知したるものか海岸洞窟入江等を厳重警戒しある模様、渡嘉敷沖に駆逐艦一、砲艦二、哨戒艇二停泊せる模様本日も三十数名の敵兵上陸午後阿波連方向に移動す。本日も家畜を略奪しある模様。

四月十七日より四月二十四日迄の間

 未記録のため詳細不明、別段敵情我方変化なし。

四月二十五日曇

 ○九三○ 敵大型発動艇(上陸用舟艇)一隻兵員約三十二名渡嘉敷港に上陸。一一○○全員乗艇の上阿波連方向に退去す外に別に変化なし。

四月二十六日晴

 午前中別に変化なくも午後第二中隊駐止斥候旭沢分哨員、敵と交戦高橋分哨長重傷を負ふ、同分哨安楽候補生戦隊本部に戦闘状況報告のため帰隊す。

戦闘状況
 旭沢街道を渡嘉敷に向け前進中の敵を発見するや軽機関銃を抱え敵の前面に進出せんとするを敵に発見され自動小銃の乱射を受け其の一弾不幸にも軽機関銃弾嚢下部に命中、発射不可能となり之を代えんとする折、敵の手榴弾に依り全身数ケ所に爆傷を受くるも機を失せず軍刀を引抜き正に斬らんとするとき、敵の小銃連続して右大腿部に命中、分哨長無念にも重傷を負ふ、然し、敵は其の侭遁走撃退す。

四月二十七日より四月二十九日迄

 未記録のため詳細不明。

四月三十日晴

 ○七○○ 慶良間海峡の状況 敵艦船合計九十四隻、飛行艇三○機停泊。一○三○、敵約三○名渡嘉敷港に入港、上陸一一三○頃南方に退去す。

 戦隊は持久戦に備え食糧確保のため現地自活班の編成を命令、直ちに実施す。
 一、戦隊は現地自活班を編成し所要の各種糧秣類の栽培採集加工等の一切の作業を担任せんとす。
 二、楠原中尉は現地自活班長となり班員を指導し第一項の任務を担任すべし。

昭和二十年五月

五月一日曇

 各隊は野菜食糧の耕作採集を実施、外陣地構築を徹底的に実施。
 本部各中隊連絡壕の構築を開始。第三中隊非常配備訓練を実施。

五月二日曇

 敵情変化なし我方陣地構築に精出す。

五月三日曇

 ○九四○ 戦隊長第三中隊陣地巡視を行ふ。引続き整備隊の巡視を行ふ。

五月四日晴

 渡嘉敷島周辺の敵は数日来より厳重なる警戒を行い絶えず島の周辺を哨戒し隠れ場所と思しき処へ艦砲射撃を行い我方の損害多し。

 一三○○ 船舶団渋谷見習士官、宇田上等兵東山分哨にて敵の銃撃を受け戦死す。第三中隊池田少尉以下三名阿波連将校斥候となり出発す。

五月五日晴

 軍司令部船舶団より慶良間列島出身の将兵を以て編成の稲垣少尉以下十一名、沖縄本島よりくり舟三隻を以て渡嘉敷島連絡の任を受け無線機を携行渡嘉敷に到着。内一隻は途中行方不明、乗艇者我が戦隊の高北良軍曹、松村伍長、全員士気旺盛、直ちに戦隊本部に連絡報告、軍司令部宛、渡嘉敷島健在の電報を打つ。

 第三中隊、小松原少尉本部付となり恩納原前進陣地分哨長となる。沖縄本島の戦闘状況を聞き稲垣少尉以下の作戦行動について打合わせを行う。

五月六日晴

 沖縄本島の戦闘緊急を要するため戦隊長は残留船舶団の将校を本島に帰還せしむるため次の命令を下達作戦に参加せしむ。

 戦隊作戦命令
 一、木村少尉は将校斥候となり整傭隊伊藤軍曹、加藤上等兵、防召兵二名、他に糸満防召兵六名を指揮し舟により本六日夜渡嘉敷を出発、沖縄本島に到り軍司令部、船舶団其の他関係方面と連絡すべし。

 二、木村少尉は三池少佐の沖縄本島帰還を護送すべし。

 三、木村少尉は連絡任務終了後原所属に復帰すべし。

 四、伊藤軍曹は連絡任務完了せば時機を見て沖縄本島に於ける当部隊残留者を指揮し、帰隊すべし。

 五、楠原主計中尉は所要の糧秣を準備すべし。

 六、細部に関しては別に示す

 七、予は現在地に在り。
    戦隊長 赤松嘉次

 第三中隊長、皆本少尉以下五名阿波連より弾薬運搬のため一八○○出発す。

 夜半東部海岸より「クリ舟」三隻にて沖縄本島へ三池少佐以下出発。

五月七日

 稲崎(※ママ)少尉以下沖縄本島より到着したる連絡員東側海岸に於いて本島との無線連絡を開始。

 第三中隊阿波連より弾薬爆雷運鍛作業を実施帰還す。阿波連方面より銃声、迫撃砲弾を打込まれる。

五月十日晴風無

 ○九四○、敵上陸用舟艇にて約一五○名渡嘉敷に上陸、上陸するや迫撃砲並びに銃撃を以て牽制しつつ迫撃砲陣地並びに諸作業を実施しあり何か企図しあるものの如く、敵の兵力約一五○名、戦車一台、迫撃砲数門。渡嘉敷部落周囲の高地に陣地構築中。

 記念運動場に物資集積、阿波連方面及び渡嘉志久方面の砲声漸次北上して渡嘉敷方面へ移動、稲垣少尉以下の無線通信が敵に補足せられしか敵は当渡嘉敷島の掃討を企図しあるものの如く上陸増強しあり戦隊長直ちに各隊連絡将校を集合せしめ敵を邀撃戦闘配備を命令す。

○八一五 作命甲第三十三号(※)
 一、阿波連駐止斥候よりの報告に依れば敵は昨九日阿波連方面に対し艦砲射撃を実施すると共に舟艇及び戦車を以て阿波連湾及び野嘉良崎南方地区に上陸し監視哨高地を挟撃する態勢にあり、監視哨は目下後退して敵情監視中なり、敵は渡嘉敷島を掃討する如き兆候あり。

 二、各隊は直ちに戦闘準備を整え何時たりとも応戦敵を撃滅する態勢にあるべし。

※ここで突然作命番号出現

一○○○ 作命甲三十四号
 一、阿波連方面の敵情は兵力約一○○名を九日朝来阿波連東西線海岸に上陸監視哨高地を挟撃中にして、○九五○渡嘉敷湾に大型発動艇五隻を以て兵力約一五○名を上陸せしめ渡嘉敷攻略を企図せるものの如し。

 二、戦隊は戦闘配置につき敵の攻撃を警戒せんとす。

 三、各隊は直ちに戦闘配備に就くと共に兵力約半数を将校の指揮を以て陣地及び前進陣地の中間に配し且陣地前方に斥候を派遣し敵情を捜索すべし。

 四、前進陣地内部に敵兵を入れることなく之を撃滅すべし。

 五、陣地内の兵力は戦闘配備に就くと共に軍夫を以て陣地構築作業を統行すべし、第三中隊田中熊一伍長整備室へ伝令として任務遂行中右上膊部に迫撃砲の破片創を受くも元気旺盛なり。

五月十一日曇

 敵上陸部隊は渡嘉敷村発、周囲の高地に陣地を構築中。

 戦隊は之に徹底的改善を与えるべく初期攻撃を計画、直ちに挺身斬り込隊を編成、攻撃を開始す。

 戦隊作戦命令甲三十五号
 一、敵情は昨夜示したる外渡嘉敷港より逐次軍需品、兵器類を揚陸武備を増強し有るものの如し。

 二、戦隊は本日夜暗を期し渡嘉敷部落に上陸せる敵中に斬り込を敢行せんとす。

 三、第三勤務小隊より下士官以下四名の斥候を渡嘉敷に派遣し敵の集積しある弾薬糧秣を爆破せしむべし。

 四、第一中隊より高取少尉以下五名をA高地南方に派遣し敵の迫撃砲陣地を夜襲すべし。

 五、第二中隊より将校の指揮する約十名(軽機関銃一 擲弾筒一を附す)をA高地に派遣し掻乱射撃を実施すべし。

 六、之がため南少尉は第一中隊へ爆薬管一、破壊筒(一米位のもの)一、第三勤務小隊へ爆発缶二を交付すべし。

 七、各隊の現在地出発時刻年本夜二四○○以降と予定す。

五月十二日曇

 戦隊は挺身斬り込隊の行動を容易にすべく部隊を一部前進、敵を擾乱せんとす。

 一三一○斬り込隊高取少尉(第一中隊)本部下の谷間に於いて負傷、伝令の報告を受け医務室玉木兵長以下五名を以て収容一五一○帰隊。

 戦隊作命甲第三十六号 略

 戦隊作命甲第三十七号
 一、敵は本渡嘉敷島掃蕩を企図しあるものの如し。

 二、戦隊は現地自活作業を中止し鋭意陣地強化を図ると共に遊撃戦を以て敵の企図を破壊せんとす。

 三、現地自活班は一時解散し防衛隊員及び軍夫を各隊に復帰せしむべし。

 四、各隊は先ず前進陣地を強化し遊撃戦闘を実施すべし。

 五、稲垣少尉は明十三日夜現地を出発し渡嘉敷島南部に転進すべし。(防衛隊二名を附す)

 六、戦隊は遊撃隊を組織せんとす之がため第二中隊より連下少尉以下下士官二名 第一、三整傭中隊より下士官以下三名を選出し連下少尉の指揮下に入らしむべし。

 七、遊撃隊出発の時刻及び細部は別に示す。


 第三中隊前進陣地敵襲を受け原山、吉尾、野崎伍長負傷す。


五月十三日晴

 ○七三○第一中隊斬り込隊香山軍曹以下四名挺身任務完遂無事帰隊(第三中隊の側画攻撃を容易ならしむため擾乱陽動任務) 第三中隊未帰還

 一○○五 一二一○ 一三○○の三回に分け敵兵約七十五名渡嘉敷湾に侵入上陸す。

 一三三五敵迫撃砲弾茶畑付近に落下損害なし。

 一三五○敵兵約四十名茶畑南端より侵入、前進陣地と交戦記念運動場裏山に退去せり我方損害なし。

 一七○○第三勤務小隊公野伍長以下四名挺身斬り込の任務を完遂し帰還す。

 戦果渡嘉敷弾薬集積所爆破、我損害なし。

五月十四日晴

 一○二五敵大型発動艇(上陸用舟艇)一 渡嘉敷に侵入武装兵三十五名上陸海岸に待機 敵陣地より我方へ迫撃砲弾 軽機関銃集中砲火を受く、渡嘉敷西方旧監視哨付近に火災発生、一部敵兵整備中隊前進陣地に接近交戦撃退す。

 我方の損害、第三中隊第三勤務小隊中道上等兵戦死、上陸の敵は阿波連方向に退去す。

五月十五日雨

 第三中隊前進陣地池田小隊よりの報告に依れば渡嘉敷三叉路付近に掩体ありとの申送りあるを偵察するも発見出来ず指示を求めて来る。一○二○上陸用舟艇一隻約三十二、三名上陸梱包物の揚陸をなし離岸す。各隊に迫撃砲に隊する退避壕の構築を急がしむ、敵は一一○○頃より防波堤に達着し渡嘉敷部落より水タンクで水を運び去る模様なり。一三○○、自動貨車を持つて物資の揚陸を行ふ。

 一六三○上陸用舟艇にて水タンク及び住民を乗せ離岸す。

五月十六日晴

 敵情昨日と変化なく唯渡嘉敷の敵陣地は徐々に補強し、一部住民(所属不明)が敵に捕われ使役に使われ或いは敵陣地内にて起居しある模様なり。

五月十七日晴

 敵の砲艦664入港偵察後退去す。大型上陸用舟艇一、住民約五十名を乗せ離岸、小型上陸用舟艇二隻にて敵兵約二十五名上陸揚陸後離岸す。我方損害なし。

五月十八日晴

 一○○○敵上陸用舟艇渡嘉敷に入港約四十名上陸、荷物を約一○○梱揚陸す。防衛招集中の大城逃亡中の処第三中隊歩哨森山伍長耕作地に於いて捕う。用便に行くと虚言して再び逃亡す。

 一二四○松の山陣地付近に白煙を発見第三中隊原山伍長斥候として出発、一四○○帰隊異常なし。

 一五○○~一六○○砲艦らしきもの渡嘉敷東方に投錨す。

 一六三○住民らしきもの約三十名上陸用舟艇にて座間味方面に退去す。

五月十九日曇

 敵兵約二十五名A高地に来襲しLgを以て射撃せるも我方直ちに応戦撃退す。我方損害なし。

五月二十日

 敵は相変わらず増強し頻りに我方の偵察を行う、敵兵二名渡嘉敷鰹工場煙突東側に出現、本部結城伍長(第三中隊出向)直ちに発砲撃退す。第三中隊小松原少尉記念運動場付近を偵察、鉄條網に引掛り鉄條網に結着しありし手榴弾に触れ発火爆発するもいち早く後退、被害なし。

五月二十一日晴

 彼我の情況昨日と異常なし、唯敵は続々増強し本渡嘉敷島を掃討せんとしある模様なり、タ刻新たに住民八○名揚陸す。

五月二十二日晴

 作戦命令
 一、敵は渡嘉敷島を掃討せんと企図しある模様なり。
 二、戦隊は之に対し遊撃戦闘を開始敵を撹乱せんとす。
 三、本部張間中尉は本部陣地より下士官五、兵二、水上勤務隊二十名を指揮し本戦闘を実施すべし。
 四、出発の時期、場所、方法等は別に指示す。敵約一八○名渡嘉敷に上陸。

 本部陣地より張間中尉以下二十八名、谷本、小野、池田、向山伍長犬橋一等兵、栗木二等兵、安田軍夫外十九名、約二十日間の日程で渡嘉敷東部高地嘉手刈付近敵の背後真上に陣地構築遊撃戦闘のための本部を出発。

五月二十三日曇

 昨夜上陸したる敵は(約一八○名)黒人を混えたる混成の模様にして警備交代のためか昨夜は炊事場付近に露営しあり米兵は各人荷物を纏め海岸に集積中なり、又天幕も一部撤収中。尚高地の敵は天幕を取外し、其の骨組も解体中なり、住民約四○○名揚陸す。

五月二十四日

 一二○○上陸用舟艇一、北方より侵入渡嘉敷に入港兵印約三十名、揚陸、湾口に敵砲艦一、停泊.(333)一三三○敵大型上陸用舟艇一、入港し梱包等約六○個揚陸す。一五○○LST二隻北上積載品一隻、兵印一五○名梱包等約一○○梱なり。残余の敵は大型小型天幕展開中(現在四)

五月二十五日~五月二十七日

 彼我の清況変化なし。

五月二十八日

 第三中隊配属中の特設水上勤務隊の軍夫、逃亡せし模様のため直ちに第三中隊をして俘虜捜索監視のため増援す。

五月二十九日

 A高地、整傭中隊付近に日夜迫撃砲弾の集中砲火を受くるも被害なし。
 第三中隊原山伍長以下五名俘虜護送のため出発す。

五月三十日

 第三中隊原山伍長以下俘虜護衛より帰隊す。本部渡嘉敷東部嘉手刈障地より連絡。敵は遊撃陣地構築の企図を察知してか斥候二名嘉手刈陣地北方に進出我が警備隊五○○米前方迄に進出後徹退す。

五月三十一日

 毎日の如く渡嘉敷の敵陣地より迫撃砲の連射、入港中の艦艇より艦砲射撃を受くるも我方損害軽微なり。本部より川崎軍曹(通信隊)整備隊鈴木軍曹斬り込隊となり渡嘉敷に侵入、鈴木軍曹敵の鉄條網に引掛り手榴弾により戦死。


昭和二十年六月

六月一日

 渡嘉敷の敵は逐次増強する模様にして水陸両用車を使用し物資を揚陸しあり、第三中隊斬り込隊員丸子伍長連絡なし、第三中隊より前進陣地に対し捜索に出発す。

六月二日

 第三中隊丸子伍長帰隊す、敵陣地内(伊江島住民)に於いて俘虜と共に起居せし模様なり。

 敵情変化なし、相変わらず増強しある模様なり。

六月三日

 阿波連、渡嘉敷、儀志布島方面に絶えず敵は監視せる模様なり。

六月四日

 整備中隊平尾伍長石橋付近にて陣地構築中敵の機銃掃射を受け戦死す。

六月五日

 敵は常に渡嘉敷に対し増強しあるものの如く水陸両用車を以て物資を揚陸す。

 一三○○頃敵はA高地に対し重機関銃を以て約二時間射撃を受くるも被害なし。

 一七三○頃第三中隊渡嘉敷前進陣地前面に対し艦砲及び機関砲を射撃我方損害なし。

六月六日

 敵は迫撃砲及び機銃を以て射撃するも我方被害なし、敵は数日来より頻りに我陣地を牽制しある模様なり。

六月七日

 整傭中隊前進陣地より渡嘉敷海岸の敵に対し小銃を以て射撃を行う。敵は直ちに迫撃砲及び機銃を整備隊前進陣地に打込むも我方被害なし。

 一○三○駐止斥候米田上等兵栗良波稜線上に於いて渡嘉敷の敵より射撃を受け頸部並びに右上膊部に貫通銃創を受く。

六月八日

 A高地服務中の第三勤務小隊堀部、中野両上等兵壕内に於いて待機服務中敵約十名近接し自動小銃の射撃を受け堀部上等兵頭部盲貫銃創により戦死。中野上等兵脛部貫通銃創の重傷を負う。敵は一五○○以降、迫撃砲、重機、小銃弾をA高地三中隊整備隊の前面に射込みたるも我方人員資材等損害軽微なり。敵より攻撃を受けし詳細次の如し。

 六月七日前進陣地報告三中隊、池田少尉
  一三一五 我監視哨に小銃十数発、
  一四三○ 渡嘉敷南海岸に於いて爆破二回、
  一六三○ A高地に対し射撃(渡嘉敷より)
  一七○○ 渡嘉敷港より整備中隊前進陣地に対し数回射撃、我方よりの射撃に対し応射の模様。

 六月四日前進陣地報告
  ○六三○ 渡嘉敷より前進陣地に自動小銃連射。
  ○六四○ A高地に迫撃砲十数発射撃を受く。
  ○八四○ 渡嘉敷よりA高地に迫撃砲十数発。
  ○九一○ 前進陣地に海岸より自動小銃連射。
  ○九四○ 海岸よりA高地に迫撃砲十数発。
  一○三○ 恩納ケ原に自動小銃連射、渡嘉敷に於いて爆破音大、
  一一一○ 前進陣地に迫撃砲十数発
  一三○○ 入港中の敵艦船より前進陣地に十数発、A高地に十数発艦砲射撃
  一四○○ より炊事の谷、A高地に対し五~十分毎に迫撃砲四、五発射撃を行う。
  一四五○ 前進陣地に対し火力の集中砲火三叉路に迫撃砲数発、敵は盲滅法に射撃を行うも我方被害なし。
  一七○○ 第三中隊丸子伍長渡嘉敷に斬り込及び敵情偵察のため出発(敵情偵察及び斬り込の場所、日時判断のため)


六月九日

 本部張間中尉以下二○名遊撃戦闘及び陣地構築完了し渡嘉敷東部台地嘉手刈より帰隊す。

 第三中隊丸子伍長敵陣偵察より帰隊する。敵は昨昨夜(※ママ)より激しい砲火を我陣地に集中するも被害なし。

六月十日

 敵は渡嘉敷記念運動場に鉄條網を敷設し地雷を敷設したる模様なり。

六月十一日

 整傭中隊日根小隊の偵察によれば次の如く陣地構築しある模様。兵力約五○名目下構築中の模様なり。
 石橋陣地、原田上等兵戦死す。

六月一二日

 敵は間断なく射撃するも被害なし。

六月十三日

 敵は昨夜より我軍の斬り込を恐れてか一方的射撃より一般的射撃に移り終日間断なく砲撃射撃を実施、夕刻より日没まで軽機関銃の乱射を受く。第一中隊斬り込隊長高取少尉負傷療養中の処、本日一七○○北方複廓陣地に於いて戦死を遂ぐ。

六月十四日

 爆雷を以て再び水上特攻を実施すべく第三中隊をして準備せしむ 三中隊爆雷運搬のため竹島伍長以下四名出発器材の集積を始む。

六月十五日

 昨日同様、敵情変化なし、爆雷運搬を実施

六月十六日

 爆雷攻撃準備のため第三中隊長以下儀志布島偵察に出発、タ刻帰隊す。

六月十七日

 早朝石橋駐止斥候小松原少尉麾下の勤務小隊、小林伍長負傷、第二中隊勤務小隊中川上等兵渡嘉敷に於いて戦死。第二中隊斬り込隊長鈴木少尉敵陣地斬り込準備のため敵前の地雷掘出し除去作業中地雷爆発壮烈なる戦死を遂ぐ。夜半過ぎ石橋駐止斥候小松原少尉以下三名(小松原少尉、永井軍曹、森上等兵)敵情偵察中敵の敷設せる地雷に触れたるものの如く、所在不明となる。(戦死せるものの如し)

六月十八日晴

 敵兵約七十名(黒人武装兵)渡嘉敷に上陸、旭沢、石橋。A高地付近に盛んに銃砲撃を実施する。敵は我が斬り込を恐れ各谷間並びに通路に盛んに地雷及び障害物を設置す。

六月十九日曇小雨

 一八○○敵約十名留利加波道傘松付近に侵入、其の後敵の行動不明なる為之が偵察に駐止斥候として第二中隊森末伍長、佐藤伍長二名出発、二三○○頃迄偵察するも敵影を発見出来ず暗夜小雨の中帰途に着く、途中傘松の下、段々畑にて敵の地雷に掛かり森末伍長戦死、佐藤伍長耳部負傷す。

 会報を左の通り下達す。
 石橋付近には昼間十名内外の敵が駐在し部落内外も危険な状態となる(敷設地雷による)石橋~渡嘉志久間の通行を禁止す。
 留利加波、阿利賀の道路の昼間通行禁止す、絶対に戦隊本部の許可を必要とする。

六月二十日曇

 ○九○○水陸両用箪二両を以て監視船に連絡に行き一両に人員約二十五名(内武装兵二名)一両に鉄材(長一・五米位の軌条の如し)を満載し揚陸す。一三五○特大発(51409)儀志布方向より湾内に入る。黒人兵約三十名上陸、帽子は白にて種々なり牽引車一両砲二門(砲身約二米野砲より小型にてゴム車輪四ケ)高射砲やも知れず。

六月二十一日

 夜恩納河原自活班勤務防招隊員前里与太郎、恩納河原、河谷入口付近にて敵の埋設せし地雷に触れ戦死せるものの如し。

六月二十二日

 本部無線機にて本島軍司令部最後の斬り込を敢行するとの電報を傍受す。

六月二十三日

 一二○○頃水上勤務隊衛生兵玉木兵長戦病死す。

六月二十四日

 ○七三○艦砲、高射砲、迫撃砲を以て猛烈に射撃を開始、特にA高地に目標を置くものの如し。

 ○八三○敵兵約六○名、A高地に攻撃を加え我軍と交戦す。

 ○九五○敵はA高地に迫撃砲重軽機を備え一八○○頃迄間断なく我陣地に向け射撃す、

 一九○○敵はA高地を徹収、銃声殆どなし、

 猶○七三○艦砲によりA高地は敵の攻撃を受け多里少尉以下十名勇戦奮闘交戦一時間、状況止むなきに至り同高地を徹収す、此の戦闘に於いて島谷伍長、佐藤伍長、久保伍長、山田兵長、野々ロー等兵、戦死の尊き犠牲を出す。

 第三中隊、杉沼、森山伍長負傷敵は旭沢に地雷を設置する模様なり。最近各隊は稜線上に於いて敵の狙撃を受ける事頻なるによって昼間稜線上の通行を厳禁す。

六月二十五日

 敵情及び陣地内変化なし、各中隊陣地構築に専念する。

六月二十六日

 作業に陣地外に出る者、部落民に糧秣を強要するものあり強奪せしものは厳罰に処す旨各隊に通報す。

 水上勤務隊軍夫三名氏名不祥、恩納河原に於いて糧秣を強要したる模様なり。

六月二十七日

 戦隊長各中隊長を本部に招集しA高地失地後の戦闘計画を示達実施せしむ、各隊の情況異常なし。

六月二十八日~六月二十九日

 異常なし、戦隊は依然として陣地構築及び各隊の縦面連絡壕の構築を実施す。

六月三十日

 ○六○○第三中隊所属水上勤務隊軍夫吉本(名不祥)より岩村班等昨夜逃亡せる旨報告あり

 一四三○阿波連駐止斥候連下隊より連絡兵二名特設水上勤務隊曽根一等兵を主謀とする某事件の報告を受く。
  • (引用者注)曽根一等兵は特設水上勤務隊ではなく勤務隊所属

 一八○○新海中尉以下二十二名捜索隊を編成、曽根一等兵以下の偵察に出発す。

 某事件とは
 特設水上勤務隊斉田少尉以下二四○名朝鮮人を主力とする軍夫で戦隊の舟艇を秘匿する舟艇壕の掘進、舟艇の泛水、引揚、器材の運搬を目的として集められ戦場にかり出されたものである。
 敵の上陸後は西山複廓陣地に於いて日夜連日陣地作り(防空壕、タコ壷掘り)弾薬器材の集積に従事し武装する兵器なく、唯自決用の手榴弾一ケのみ与えられたるまったくの丸腰である。敵弾の落下する中、不足したる食糧に飢え精神的な焦燥に耐え切れず敵軍に集団投降したる事件である。



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