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(10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次

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(10)二十五周忌慰霊祭弔辞 赤松嘉次



 弔辞  謹んで渡嘉敷島及び此の周辺に於いて戦没されました村民の方々並びに将兵の御霊に申し上げます。

 顧みまするに二十六年前恰も大東亜戦争風雲急を告げる昭和十九年九月、私達海上挺進第三戦隊及び支援配属部隊は特攻任務を持って、此の渡嘉敷島に配備されたのであります。

 その十月沖縄空襲、那覇全焼、台湾沖航空戦等此の島にも緊迫の度が加わる中、御当地皆様方の御協力により軍民一体必死の作業が実を結び、特攻準備は略完成し三月二十三日連合軍の来襲を迎えました。

 熾烈な敵機の空襲艦砲射撃の下に陰忍満を持しつつ、遂に同二十六日未明出撃準備を下令、敵弾下勇躍涯水作業を強行致しましたが、天吾に味方せず泛水に長時間を要し、白昼強行せんか他戦隊の戦略企図秘匿の為涙を呑んで自沈するの止むなきに至り、皆様方及び吾々の苦労も一瞬にして水泡となったのであります。

 翌二十七日海岸にて上陸する連合軍と軽戦の後島の北部二三四、三高地付近に撤退爾後、此の天瞼を利用し持久を策して斬り込、防御戦闘の傍ら数少ない兵器弾薬糧秣を以て皆様方と恐れ鞏固な団結の下、連合軍を此の渡嘉敷に拘束し八月十五日終戦を迎え任務を終わったのであります。

 二十五年前の今日三月二十八日敵の包囲する処となり皆様方は刻々と迫る危機に皇国の必勝を祈りながら自らの生命を絶ち、護国の鬼となる悲惨事を生じ亦敵を迎え撃ち自ら斬り込み敵弾に斃れ、或は地雷に触れ病に飢餓に斃れる者続出し、数多く尊い犠牲者を出したのは戦いの常とは申せ誠に遺憾に堪えません。

 然しながら戦争終結以来実に二十五年皆様方の御霊の加護により我が祖国日本は戦後の廃墟と飢えの中から立直り、国運は今や世界の注目するする処となりこの沖縄の復帰も翌々年と決定致しました。

 偲ぶに皆様方の尊きいけにえも決して無でなく平和な日本建設の礎として史上高く讃えらるべく皆様の御霊を以て冥すべきでありましょう。

 皆様方とあわただしい別離をしてより二十五年、御当地村長様、校長様方始め御有志皆様方の御好意と並々ならぬ御援助により、我々戦没者隊員の御遺族共々遥々、海碧き南海の此の渡嘉敷島に来る今、此の白玉の塔の前で皆様方の御霊を弔らわんとするに既に幽明境を異にすると謂も、島の一木一草に在りし日の御姿を偲び、波の音にも其の雄叫びを感じ、萬感胸に迫りて唯感無量云はんとして言葉にならず、語らんとして涙にむせび、ひたすらに皆様方の御冥福を御祈り申上げるのみで御座居ます。

 願くば在天の御霊安らかに冥し来りて吾等の弔を御享け下さい。

   昭和四十五年三月二十八日
        元海上挺進第三戦隊長 赤松嘉次




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