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それでも「人間動物園」は史実か

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それでも「人間動物園」は史実か―印象操作の疑惑深まるNHK「JAPANデビュー」 (付:パイワン族「証言」動画)

永山英樹氏のブログ「台湾は日本の生命線」より
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/

2009/05/09/Sat

■本当に「人間動物園」と断定できるのか

日本の台湾統治史を台湾人弾圧史として貶めるため、数々の史実歪曲を行ったことが明らかになりつつある「NHKスペシャル/シリーズJAPANデビュー」(第一回「アジアの“一等国”」)。

四月五日の放送から一ヶ月以上が経った五月八日に至っても、寄せられる抗議の声はなお「百単位」に及ぶと言う(NHK視聴者コールセンターの話)。

これは素晴らしいことである。NHKがあそこまで視聴者に有害性を露呈したのだから、ここで抗議を行わなくてどうするのかと言うことだ。

謝罪と訂正放送、そして番組制作の責任者の処罰を要求しなければ、反日宣伝番組を制作、放送するNHKの背信行為に歯止めなど掛かるまい。

さて番組が紹介した「史実」のうち、捏造の疑いが持たれるいくつかに中で最もショッキングだったのは「人間動物園」だろう。

番組ではパイワン族の集合記念写真(「人間動物園」とのテロップも)が映し出され、次のようなアナウンスが流れた。



――― 一九一〇年。日本は統治の成果を世界に示す絶好の機会を得ます。ロンドンで開かれた日英博覧会。・・・台湾の先住民族、パイワン族。日本は、会場内にパイワンの人々の家を作り、その暮らしぶりを見世物としたのです。・・・当時、イギリスやフランスは、博覧会で殖民地の人々を盛んに見世物にしていました。人を展示する「人間動物園」と呼ばれました。日本はそれを真似たのです。

フランス歴史学者、パスカル・ブランシャール氏も登場し、次のように指摘する。

―――当時、西洋列強には、文明化の使命という考え方がありました。植民地の人間は野蛮な劣った人間であり、ヨーロッパの人々は彼らを文明化させる良いことをしている、と信じていました。それを宣伝する場が、「人間動物園」だったと言う訳です。

ちなみに番組の最後の方では再び集合記念写真が映される。そしてこの歴史学者も再登場し、下のように訴える。

―――私たちは他者と共有できる歴史を探り当てなければなりません。他者の歴史を知ることは、自分自身を知ることでもあります。私たちは最早、正しく優れているのは自分で、間違って劣っているのは相手だと考えることはできません。世界に目を向け、なぜ世界の人々が日本をこのように見るのか理解しなければならないのです。



「世界の人々が日本をこのように見る」とは、番組で台湾の人々が日本を批判したことを指している。そこには「悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」と嘆いたパイワン族女性も含まれているはずだ。

彼女は「人間動物」にさせられたパイワン族の遺族で、NHKによってその「事実」を初めて告げられ、そう嘆いた。「人間動物」と聞けば、遺族でなくても悲しみと怒りを禁じ得ない。しかし本当に日本人は、「人間動物園」と銘打って、パイワン族を見世物にしたのだろうか。

■「人間動物園」との用語はなかった「参考文献」

これと同じ疑問を大勢の視聴者が抱いた。そして徐々にわかってきたのが、日英博覧会では余興としてパイワン族は「見世物」になったが、そこでは内地人も同様に「見世物」になっていたと言うことだ。

前者は民族の踊りを披露し、後者は職人や芸人などが見物の対象となった。ただ前者は会場内に建てられた家屋で生活し、生活そのものが展示された。だから「人間動物園だったのだ」との説明も、NHK視聴者コールセンターはしていた。

NHKはこれまで、視聴者には文書で次のように説明してきた。

―――番組内でご紹介した歴史上の出来事は、関係史料・文献、台湾研究者への取材に基づき、正確に表現しています。「人間動物園」という表現についても海外の研究者の文献資料によるもので、善悪等の価値判断・批判ではなく、事実としてお伝えしています。

―――「人間動物園」については、参考文献として、以下を紹介させていただきます。
“HUMAN ZOO”(LIVERPOOL UNIVERSITY PRESS, 2008)、『近代日本の植民地博覧会』(山路勝彦著、風響社、2008)

そこで私はNHKの言う「事実」を知るため、『近代日本の植民地博覧会』を読んで見たのだが、そこには「人間動物園」の言葉はなかったし、「日英博覧会」への言及もなかった。



■何を以って「人間動物園」を「事実」と言う

この書が取り上げるのは日本で行われた植民地博覧会(植民地で開催され、あるいは植民地を主題にした博覧会)の数々だ。

そこには、次のように書かれている。

―――博覧会が華やかさを増していく一九世紀から二〇世紀にかけては帝国主義の時代であって、西欧列強は世界各地に植民地を持ち、互いに覇を競っていた時代であった。博覧会もこのような世界情勢と無縁ではなく植民地支配の実績を誇るために植民地各地の農産物、手工芸品、さらには植民地の住民の展示が万国博覧会の目的の一つに数え上げられていたことは、この時代の大きな特徴であった

―――明治三六年に大阪の天王寺公園で開催された第五回内国勧業博覧会は、・・・植民地の住民を見世物として大衆の眼前に晒したことで話題になった「学術人間館」が登場したのは、この博覧会においてであった。

―――人類館の展示は欧米の方法を真似たもので、かつ博覧会の余興と位置づけられた内容ではあるが、底流には人類学を一般に広めようとする坪井(※自然人類学者、坪井正五郎)の啓蒙への執着がうかがわれる。

―――だが坪井の思惑とはかけ離れ、「学術人類館」はやはり見世物にすぎなかった。恐ろしいことには、この植民地住民の展示は・・・戦前期の日本の博覧会の一つの特徴を形作っていった。

このように、植民地住民を「見世物」にする「展示」(「日常の起居動作」を観察させること)が行われたことを詳述し、批評を加えるのもこの書の特色だ。

例えば、

―――会場で寝泊りし衆目の視線を浴びるタイヤル族(※台湾原住民)は、外部の眼から見れば珍奇な「未開人」として見世物の対象と映ったにしても、当のタイヤル族にとっては台湾での日常性の延長を演じているにすぎなかった。おそらくはこのタイヤル族は博覧会の意義について分からず、自己の置かれた境遇の政治的意図を知らずに連れて来られたに違いない。一般の観覧者は目前のタイヤル族をあたかも「物」として見ているだけで、タイヤル文化の奥の深さまで知ろうとはしなかった。

―――生活の展示と言えば聞こえがよいかも知れないが、自分の村から切り離されて博覧会で再構築された居住空間は、見学者に愛想を振り撒くために見せる道具でしかない。

当時の日本人は博覧会において、台湾の原住民を「未開人」「物」「道具」のようにしか見ていなかったと言うことだろうか。

以上のようにこの書は、「帝国日本が植民地に向けた眼差しのありか」を探る上でとても有益なものなのだし、関心のある人には一読を薦めたいが、ここで問題なのはNHKだ。

番組作りで同書を参考にしたのは本当だとしても、いったいのそれのどの部分から、日英博覧会における「人間動物園」は事実であると説明するのだろうか。

■なぜ「人間動物園」の出典が隠されるのか

この一つ前の文章でも書いたのだが、私は五月八日、NHKの視聴者コールセンターに電話を掛け、「人間動物園が事実であることを示す文献」の所在を尋ねたところ、“「人間動物園」との用語の出典は不明”との説明を受けた。

『近代日本の植民地博覧会』も、番組内容を説明する資料に掲載される「参考文献」には見当たらないと言っていた。明らかに従前の説明と異なっているが、おそらくこの書を「人間動物園」の論拠にはならないと考え直したのではないか。

そしてさらに、NHKが以前視聴者に対して行っていた説明では、番組に出演したパスカル・ブランシャール氏(上述)は「人間動物園」など研究で知られる学者で、『HUMAN ZOO』は彼の著書だそうだが、その書名すらも資料には載っていないと言うのだ。

この書ですら、論拠を提示することはできないと言うのだろうか。

本当に日英博覧会で「人間動物園」は行われたのだろうか。

番組は「人間動物園」の写真を掲げ、「五十年間の日本の台湾統治を象徴する」とまで断言しているのだが。

もしNHKが今後、日英博覧会でのパイワン族の展示が「英仏の所謂人間動物園のようなもの」、あるいは「動物を展示する動物園のようなもの」だったため、「人間動物園」と表現したに過ぎないと釈明するのなら、それは恐るべき印象操作の告白として、糾弾されなければならない。

■明らかになってきた渡英パイワン族の「その後」

番組で「人間動物」にさせられたパイワン族は「高士村」出身としていたが、それは元々はクスクス社(高士仏社)と呼ばれた部落のことで、その出身者である華阿財氏(七二)は渡英した先人たちのことを調べたことがあると言う。

そこでNHKが取材した台湾人に再取材してまわり、番組編集の恣意を実証しているチャンネル桜の取材班が五月三日、華阿財氏を訪問した。



そこで同氏はこう話している。

―――クスクスの男女が二十四名、渡英した。行って帰ってくるまで一年四ヶ月かかった。二十四名のうち、六名の氏名しか分からない。日本では名前があるはず。

――― 一行が戻った後の一九一二年、二人のイギリスの学者がクスクスへ来て、二十五日間滞在した。目的は熱帯動植物の研究、採集と、博覧会を通じて養われた双方の友情を伸ばすためだった。二人はとても歓迎されたが、それについては日本人が詳しく記録している。

―――クスクスでは英語の歌が代々伝わっている、英語も一言二言なら話せる(と言って、英語交じりの歌を実際に歌い始める)。

ところが、ここでインタビュアーから「人間動物園」との言葉を聞かされと、「聞いたことがない」と驚き、「(英国人と)友情も持てたのに、何でそのようなことを言うのか」と憤然とするのだ。

NHKの番組を通じて視聴者が受けたであろう「人間動物園」との陰惨な印象からはかけ離れた、もっと朗らかな先人の渡英の伝承が、クスクス社にはどうもあるようなのだ。


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