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(1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次

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(1)渡嘉敷島戦闘の概要 赤松嘉次


 神国日本に危機迫り三千年来の国体を護持すべく、昭和十九年八月熱血の健児等水軍発生の地瀬戸内海は小豆島に集いて海上挺進第3戦隊を編成す。短期間なりしといえども連日連夜の訓練功成りてか、供覧演習の記録映画は天覧の供する所となり、吾人の光栄何物か之に過ぎん。

 訓練の概成するや、直ちになつかしの宇品港を後に、敵潜水艦の出没する魔の海を一路南西諸島に向かう。故国を去るに臨み、上司、肉親に何を語りしや「予等の存する限り敵一兵といえども上陸せしめず」と豪語せしが九月二十七日慶良間列島は渡嘉敷島に於いて、愈々土と海に対する闘は開始せられたり。連日連夜の洞窟作業、南海とはいえ寒風肌を刺す黒潮の舟艇訓練唯々皇国のため将校も兵もはたまた村民も一丸となりて黙々と来たるべき日に備えたりき、特に女子青年団の協力涙ぐましきものありたり。

 比島、硫黄島と戦局緊迫の度を加え、わが南西諸島にも妖雲漂いただならぬ空気を感じありたり。しかれども反面、作業はこれがため大いに進捗し、海上戦闘の諸準傭は完成し、今や水際陣地の構築に移らんとしありたり。

 三月二十三日第十一船舶団長、大町茂大佐の視察来島を待機しつつ軍民一体となりて偽装に専念しありたり、おりしも一○時三○分頃敵機のグラマン飛来すると見るや直ちに数百機これに続き銃爆撃耳を聾す。民家は飛び熊笹深き山はたちまちにして火に包まる。物量を誇る敵とはいいながら、一時呆然自失す。この間にありて対空射撃に、はたまた諸施設の掩護に任ずる将兵は、実に神兵の姿なりき。赤陽遠く西の島に落ちんとする頃、敵機は遠く脱出し嵐の後の静寂の中に周囲の島々は燃え、われまた火の中に在り、壮観筆舌に絶し、また哀愁限りなし。

 明くれば二十四日また前日に倍し二十五日には艦船をも伴う。いよいよ事態の急なるを察し、戦隊将兵一同ただただ穏忍腕を撫しつつ出撃の機を伺う。タ闇の迫る頃、敵機は脱出、艦船また列島の四周を警戒す。戦隊は出撃に備へ約三分の一の舟艇を泛水す。二四時○○分船舶団長大町大佐丸木船にて第二戦隊阿嘉島より来島、軍命令ならびに団長の意向により途中の敵を撃破しつつ本島において海上作戦を行うに決す。

 ここに於いて戦隊は勇躍泛水出撃の作業を開始す。おりしも阿波連においては敵艦船湾内に侵入し作業を妨害、遂に命中弾により舟艇に引火し、爾後の作業は不能に陥る。また一方主力渡嘉志久中央基地においては敵砲弾下鋭意作業を続行するも訓練不十分の半島出身軍夫のこととていかんせん作業は容易に進捗せず、全舟艇の泛水出撃準備の完了せるは○五時にして東天白々と明け始めり、ああ白昼堂々と敵船に斬り込まんか、成功望み無きも全員死所を得べく、しかりといえども他の五ケ戦隊の企図を暴露し、軍の海上作戦に重大なる影響を及ぽすべし、舟艇の揚陸また不可能なり。重盛が心の悩みもかくありたるべし。万事休す。涙を振つて愛艇を自沈す。誰かこれが心情を察せざる、誰一人としておのれの愛艇を沈むるものなく互いに戦友の艇を沈む。

 長時日の苦心も水の泡か止めんとすれども涙燦然と流る。敵の砲爆撃下戦隊将兵は壕にも入らず唯相抱して呆然として泣くのみなりき。依然として猛烈な砲爆撃は続き諸施設は破壊され、山は燃ゆ、夜に入り船舶団長を決死の二艇により涛々たる敵船団を突破、本島に護送せしむ。時に阿嘉島にはすでに敵上陸せる模様にして曳光弾はとび赤、青の信号弾弥生の空にきらめく。戦隊は明日の敵の上陸に備え、陸上戦闘資材を複廓陣地と予定せる地区に搬送す。山深くして暗夜に何れが予定せる地域なるや判明せず、明くれば二十七日敵留利加波に上陸との報に接し、水際戦闘を断念し途中各所に敵を撃破しつつ予定陣地に前進す。この日敵は各々戦車数十両を伴い、阿波連、渡嘉志久、留利加波に上陸。ほぼ一ケ連隊の兵力をもって複廓陣地を包囲攻撃態勢を示せり。

 三月二十七日思いは深し米兵の皇土渡嘉敷は上陸第一歩を印せし日ぞ。爆撃艦砲、迫撃砲はたまた機関銃飛び交ふ中に、今は海上作戦の断念を余儀なくされたる将兵は樹下に伏してただただ最後の機をうかがうのみ、二十七、八九日三十日と敵は砲爆撃の掩護下、陣地を攻撃し来れるも天険により必死の将兵の奮闘ににより数度これを撃退す。

 御賜の煙草をおし戴きただ死所を求むる神兵の前には、敵の攻撃あえて恐るるに足らざりしなり。敵は水際設傭の破壊せると攻撃容易ならざるによりてか、攻撃を断念し三十一日夜、戦車数十両ならびに艦砲掩護の下に撤退を始む時に敵情不明にしてこの機に準じ大打撃を与え得ざりしを遺憾とす。

 かくして敵は一時我が渡嘉敷島を撤退せるも慶良間海峡には数百の艦艇碇泊し、哨戒機常時在空す。本島またすでに敵上陸し彼我の間に皇国の興廃を賭したる激戦展開しまた特攻機毎日の如く飛来しラジオまた友軍の大戦果を報道す。絶海の孤島しかも敵の真ただ中に取り残されたる戦隊の士気を鼓舞するは実に特攻機の奮闘とラジオの報道のみなりき。

 三月末敵撤退後の吾人は何を為せしや。一言にして言えば生きんがためと戦いのために戦いたり。孤島にして補給途絶し、しかも敵上陸のため多からざりし糧秣も大部分焼却せられたり、戦隊は一日一人マッチ箱一杯の米として度々の敵の上陸を警戒しつつ現地自活作業を行い、また一方陣地構築を開始せり。しかりと言えどもいまだ充分にして牛あり、豚あり芋あり少量の米にも辛うじて体力を保持し精神の緊張せるにより陣地の半ば完成せるは五月十日ふたたび敵の渡嘉敷島掃討を企図せる時なり、敵再び上陸するや戦力の相違は如何ともなし難く平地は放棄するの止むなきにいたり、これがため一ケ月有余の夜間作業を以て植付けせる甘藷畑も敵の蹂躙する所となり、ああ我が渡嘉敷島も第二のガダルカナル島たらんとするや。否々断じてしからず。吾等第二のラバウル建設を目標とし斬込戦闘にはたまた糧秣の確保に邁進せり、ただ吾人の念願とせし所は何ぞや「渡嘉敷島はよくやった」と後世の史家をして批判せしむれば十分なり、ただただ犬死を恐れたるのみ。歴戦の勇士や熱血の若人は挙りて斬り込を志願し、地雷地帯を突破し、鉄條網を抜け敵陣地や幕舎内に忍び込んでは之を爆砕し敵の心胆を寒からしめたり。

 中には斬り込の帰りに敵の煙草や糧秣等を土産に持ち帰れる勇士もありたり。しかりと言えども地雷に触れ、あるいは敵の発見する所となり名誉の戦死を遂げたるもの、また数多ししかれどもこれがため士気の落ちることもなく、戦友の仇をと続々と志願したりき。

 わが果敢なる斬り込のためか、敵は一時攻撃を断念し渡嘉敷部落周辺の陣地構築を始めたり「世界の大勢云々……早く投降しなさい、さもなくば正々堂々と闘いなさい」かかる放送を聞きては将兵とも苦笑をまぬかれぬ。また遂にはこれを唯一の娯楽放送と考うるにいたりたり。

 壮快なる戦闘(もちろん斬り込が主にして昼問は全くもぐらの如く土の兵隊となりあり)の反面糧秣方面の苦心は言語に絶す。蘇鉄の精表これまた多人数に給するに足らず、木の実、茸、トカゲ、百足虫等食し得る物はすべて食せり。将兵はやせ衰え六月末には武装して起き得る者約半数なりき。特に戦闘の終始を通じ栄養失調により戦病死せる者数十名にいたりては思い半ば過ぐべし。人晴の美しさは人間の逆境にありて始めて見らるべし、一つの食糧を分け合い部下は上官を、上官は部下を思い苦しい中に美しき人情を発揮し団結は益々堅固となれり。予は断言す。

 将兵一同生死を超越しただただ皇国のため共に渡嘉敷の土たらんとかく書き来れば敵の行動不明なるも彼我谷を一つ隔てて相対時し昼間はいずこの戦場にても見得るごとく銃砲撃は全く彼の独壇場なりき。

 他に慶良間海の艦船既に占領しある座間味、阿嘉島の敵陣地も又協力し、あたかも内地の祭りにおける太鼓を打つ如くにして想像を絶するものあり。幸にして陣地付近は深き森林渓谷にしてこれが被害軽少ならしも前進陣地付近の森林は吹き飛び彼我の間に数次の争奪戦を展開せり、勿論奪取は夜襲によるものなり、前進陣地に於いてすべての敵を撃退せるは天瞼を利して堅固な構築陣地に依るものにし数倍・否数十倍の敵も死を怖れざる勇士の前には攻撃に成功望みなきなれぱなり。

 顧みるにあの天瞼はまた逼迫せる糧秣下堅固なる陣地の完成せるは実に天祐神助とも言うべし、即ち天は自ら助くるものを助くなり。かく争奪戦を続けつつ本島の作戦を案じおりたるも、七月二日大本営発表にて沖縄本島玉砕の報を聞く、ああ悲しいかなな頼みとする本島敗して我等如何にすべき悲観の中に議論粉々(ママ)たり「直ちに敵陣地を攻撃し全員玉砕すべし。」あるいは「陣地によりて一人にても多く敵を殺傷すべし」。と戦隊は後者を採り軍司令官以下の弔合戦と積極的なる防御戦を実施す。

 一方海上作戦はいかなりしや、全く断念せしや然らず、陣地完成後丸木船により敵艦船を攻撃せよと逐次準備を整え、敵の目を盗んで訓練を重ねたりき、しかるに何ぞや上陸せる敵により舟は焼却せられ遂にドラム罐により決行せんとせしも潮流早き為失敗に終り、更に機をうかがうも敵の探知する所となり各海岸の警戒ならびに捜索厳重を極め遂に断念の余儀なきに至る。本島玉砕後渡嘉敷島の敵は兵力を増強し攻撃を企図せるもこれまた撃退す。敵は宣伝を案施するかたはら鋭意総攻撃の準傭をなしたり。

 八月十二日頃より海岸に移住しある村民は既に敵陣に降る模様なるも既に食なく罪なき村民を唯日本人と言う名のみに於いて戦争に協カ拘束することあたわず自由に進むべき道を選択せしむべし。

 八月十五日何ぞはからずも大命により戦争の終結との報道あり信ずる能はず神国日本が必勝の国日本が無条件降伏とは部隊将兵誰しもこれを信ずるものなし、戦隊と共に最後まで頑張り来れる村人もまた然り。

 更に情報を集むるも真なり大命に生き大命に死するは軍人の本領なり。涙を呑んで敵陣営に降る。固く日本の再建を誓いて二三四、二高地において最後の武器を執り遥か皇居を拝み奉れば「君が代」のラッパは幾多戦友の眠れる渡嘉敷の山々に響き渡り唯感慨無量、百万の敵を恐れざる勇士も泣けるなり、ああ皇国日本は敗れたり。敗因を深く省み苦しかりし戦闘の経験を活用し以て祖国再建に努むるこそ生き残れるものの努めなれ。

昭和二十年十一月
沖縄本島収容所において元海上挺進第三戦隊長
赤松嘉次


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