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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か3

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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―3

太田良博
昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで
琉球新報朝刊に連載
『太田良博著作集3』p175-179
目次


3

【引用者註】天皇の旗の下、敗残兵が強いた住民の死

「赤松氏には反省がないという言い方もあるが、軍人として過ちはおかしてないという赤松氏の発言にも妥当性がある」と、作者はいう。しかし、問題なのは、「軍服をぬいだ現在の彼」が二十数年をへて、なお「軍人としてまちがっていなかった」としかいえない貧弱な精神内容である。

日本の社会では、いま、どんな殺人魔でも死刑執行できない状態である。大久保清のような男でも死刑の判決をうけただけである。かかる社会事情の中で、戦争で死んだ行った
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人たちを考えるとまことに気の毒である。妻に会いに行ったとか、降伏勧告をしたというだけで直ちに処刑された善良な人たちを考えるとき、悪い時代に生まれ合わせた人たちだったという気持ちぐらいは、処刑者として持てないだろうか。

ただ自己弁護する赤松――罰なくして罪を悟れない人間の弱さを痛感する。

一方、「反省を強いることのできるのは神だけだ」という作者と、他方では、陸軍刑法など引用して赤松をかばおうとする作者に矛盾を感ずる。

「沖縄のあらゆる問題を取り上げる場合の一つの根源的な不幸にでくわす筈である、それは、常に沖縄は正しく、本土は悪く、本土を少しでもよく言うものは、すなわち沖縄を裏切ったのだというまことに単純な理論である」と作者はいう。ここで作者が、赤松の問題を、本土対沖縄の関係でとらえている片鱗をのぞかせている(この点については、詳説をさける)。

グアム島で発見された元日本兵横井庄一氏を敗残兵と規定するのに誰も異論はないであろう。だが、赤松隊員と横井庄一氏とどうちがうのだろうか。ちがうところは、赤松隊員は、終戦の声をきくやいなや降伏したが、横井氏は二十八年間も頑張ったということだけである。沖縄戦がおわり、慶良間の一孤島で、米軍の目を避けてひそみ、無力化していた兵隊たちは、客観的にみれば敗残兵である。
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米軍は、三月二十九日(昭和二十年)に、渡嘉敷島確保宣言をなし、同三十一日には慶良間列島全域の占領宣言をおこなっている。

これは作戦上、重大な意味をもつ。米軍が沖縄本島に上陸したのは四月一日で、本島の占領宣言を行ったのは、軍司令官が摩文仁で自決し、事実上、第三十二軍が潰滅した六月二十二日である。その後の作戦を米軍では、「敗残兵掃討作戦」としている。自国軍隊が主観的に自らを敗残兵とすることはまれで、敗残兵を規定するのは敵国軍隊による客観的視点においてである。

米軍の沖縄本島上陸前に米軍は慶良間占領を宣言しているから、慶良間列島は、沖縄本島戦開戦前に、すでに沖縄本島における戦争終結の状態と同様の状態になっていたわけで、その状態が終戦まで続いたわけである。この事実は弁解の余地がないとおもわれる。『ある神話の背景』の中の知念少尉の証言に、「連隊旗をもって」云々というのがある。チャンとした軍隊だったことを誇示する言葉である。連隊旗は「軍旗」の俗名である。歩兵と騎兵の連隊にしかない軍旗、ふつう師団以上の大部隊の重要作戦とともに戦地におもむく軍旗が、大隊の形であっても兵力から言えば中隊ていどの、しかも船舶隊配下の小部隊にあったのだろうか。また、先任士官梅沢少佐の第一戦隊ではなく、序列最下位の赤松戦隊が軍旗をもっていたというのもうなづけない。
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日本の軍旗は「明治天皇の分身」ともいわれ、「天皇の象徴」ともいわれるもので、天皇から勅語とともに直接、親授されるものである。渡嘉敷島に軍旗があったということになれば、「天皇の象徴」の下で、住民が虐殺されたことになり、それは実に象徴的な事件といえる。

また軍旗を奉持する部隊が、本来の任務たる特攻出撃を中止し、終戦の声をきくと待っていましたとばかり下山投降する。しかもその際の陣中日誌には、軍旗の処置については何もふれていない。こんな軍隊があるだろうか。括目して疑わざるをえない。

ただし、(赤松隊員証言の信憑性と関連して)軍旗のことは、『ある神話の背景』の中では知念少尉以外、誰もふれていない。

なにかの旗のかん違いか、デタラメを言ったのだろう。

終戦前に捕虜となったのは投降だが、われわれは終戦の詔勅によって武器を捨てたのだから投降ではないと、赤松隊員は『ある神話の背景』の中で、妙な理屈をこねている。今だからそんなことが言えるが、終戦直後、沖縄の屋嘉捕虜収容所やハワイのPW.キャンプあたりで言ったとしたら、沖縄本島の戦闘で、激戦のすえ、九死に一生を得た他の多くの兵隊たちから、それこそ袋だたきにされたにちがいない。

作者は不用意に、右の「妙な理屈」を受け売りしている(詳説をさける)。
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島の駐在巡査だった安里喜順の証言は、赤松隊と同じ立場に立つ者の証言として聞かねばなるまい。「非戦闘員は、生きられるだけ、生きてくれ」と赤松隊長は言った、と安里は作者に語っているが、そんなら集団自決の現場にいた安里は、なぜ、住民の自決をとめなかったか。それを傍観し、みとどけてから、赤松隊長に報告するといった態度はどう説明するのか。

『鉄の暴風』で私として訂正しておきたい点がある。沖縄出身の知念少尉が上官と住民の板ばさみで悩んだように書いたが、事実に反する。知念少尉は伊江島の女性を殺害している。彼をして同郷人を斬らしめるほどの異常な空気が赤松隊にはあったのがわかる。
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