sweet hot spa by ◆QKZh6v4e9wさん

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 *


「………おおうっ!?」
跳ね起きた上田は、ずれ落ちかけていた眼鏡を顔から引きむしった。

ぼんやりとした視界に見えるのは、机一面に散乱した書類。
転がったグラス。
つけっぱなしの卓上ライト。
見慣れた自分の研究室である。

「………………」
思い出した。
溜まっていたレポートの採点をやり遂げるため、昨夜はいつものインチキ事件を解決して帰京したその足で大学に戻り、そのまま───眠ってしまっていたらしい。

上田は眼鏡をかけ直し、時計を見た。
午前三時二十三分──なんという半端な時間だ。
「ん…?」
上田は頬に涎が垂れていることに気付き、慌てて掌で拭った。
身じろぎすると股間に違和感…。
下着の内側の、このなんともいえず気色の悪い感触は。
「シット!」
上田は腰を引き気味に立ち上がった。

……山田奈緒子と事件解決に出かけたあとには時々こういう事がある。

理由は単純──地方に泊まる場合には、経費削減のため彼女と同室で過ごすはめになるからだ。
乱暴者で強欲で愚かな貧乳といえども一応女、それを傍らにおいていつもの崇高なる『練習』はできない。
事件が長びくと当然溜まってしまう。
溜まったものは定期的に放出したほうがいいに決まっているのだが、処理できなければこうやって自動的に排出されることもある。
生理的な現象だから仕方ないのだ。
だが、仕方ない事とはいえ中学生じゃあるまいし、いい年をして…というこの微妙な情けなさは何だろう。
上田は苛々しながらロッカーを開けた。

淫らな夢を見ていたような気がする。
温泉にいて──奈緒子がいた。
上田としては、出て来てほしいわけではないのに彼女が勝手に出て来たのだ。
温泉だから、彼女は服を着ていなかった。
だからといってあんな貧乳を見たところで全然嬉しくなんかない。なのに。
温泉だから、無論自分も服を着ていなかった。そして奈緒子と……。
………膝に乗ってくるから、だから……湯が……熱くて……。
確かそういう夢だった。そうだ、そういう夢だった。
なんという事だ。
その結果がこれか。




「なぜだ。なぜあんな夢を!……屈辱だ」
腰回りにバスタオルを巻き、紙袋に下着をつっこむ上田の手は震えている。
「この俺が。大学教授で天才物理学者のこの上田次郎様がだ。あんな貧乏で貧相な女で…どういう間違いだ!」
うろうろと所在なげに室内を彷徨った上田の視線が電話にとまった。
「くそ。夢に出てきたぐらいでいい気になってんじゃねぇぞ……山田…叩き起こしてやる」
理不尽で身勝手な怒りに燃え、慣れた指さばきで電話番号を押した。
いい加減短縮にしたほうが早いのはわかっているが、なんとなく癪に障るので未だに設定していない。

長い長い呼び出し音。
「……早く出ろよ!」
どうせいぎたなくあられもない格好でとんでもない場所に転がっているに違いない。
どんな男も裸足で逃げ出すような、色気皆無の寝言を唸りながらだ。
あの恐るべき寝相と寝言でせっかくの可愛い寝顔も──いや、誰があんな女。
自分以外の誰が……夢とはいえあんな無礼な女の相手をしてやる男など、他にいるものか。
上田は歯ぎしりをした。

『──もしもし』

平板な声が電話線のむこうから伝わってきた。
幸せな惰眠をとりあげられ、不機嫌の絶頂である事は、ゾンビの呻きめいた響きで容易に想像できる。

「俺だ! you、貴様…さっき俺の夢に出てきただろう、え?どういう了見だ」
『やっぱりお前か…。今何時だと…さっ、三時半!?おいっ、上田!』
「ふん、ごまかすなよ。よりによってあんなみだらな格好で。……全裸。全裸だぞyou。恥を知れ、恥を」
『ちょっと待て。………はい?』
「いいか、言っておくが俺はな、夢ならばともかくだ…現実にはあのスペシャルな露天風呂にyouのような愚かで心も胸も貧しい女を連れ込みはしない。ましてやだ」
『おい。落ち着け、上田』
「うるさいぞ、山田の分際で。黙ってろ! ましてやだな、いいか。いくら全裸の君が膝に乗り、俺を誘惑してきてもだ」
『……』
「対面座位で交わったり、さらにさらに両手を岩場につかせた上で背後からyouを泣かせたりなどという気持ちのい…、じゃないっ!! ふしだらで非理性的な猥褻行為は、この俺に限っては、絶対!ネバー!断固!!ニヒト!!!」
『……』





「おい!聞いてるのか!?」
『上田さん』
「何だ」
『今後私の半径二十メートル以内に近づいてきたら殺しますから。いいな』

ぶっつりと電話が切れた。
延々と続く待機音を聞きながら、上田はようやく我に戻った。
「…………」
石像と化して立ち尽くす。

俺は今何を言った。
……全部ぶちかましてしまった、のか?
あの夢の内容を。──奈緒子に。

「……ウェィト!」
四十センチほど垂直に飛び上がり、上田は両手で受話器を雑巾搾りにしぼりあげた。
「違う!誤解するな、you!今のは全部俺の間違……いや、君の聞き間違いだ!」

冷たく響き続ける待機音。

「聞けってっ! youーーー!!!」

 *

バカは死ななきゃ治らないらしいが、上田のバカは死んだとしても治る見込みはあるのだろうか。





おわり
最終更新:2006年09月12日 21:16