湯あたり by 267さん



抵抗が無いのを意外に思いながら、唇を離した。
山田の顔を見る。
艶っぽい息。目が潤んで、色白の頬が微妙に薄紅に染まって。
思わず背筋がゾクリとする。
山田はこんなに色っぽかったか?
と、いきなり腹に膝蹴りが入った。
ソファーから落ちる。
「おま・・・!痛いだ」
言いかけて、山田がいつもの表情に戻っているのに気がついた。
しまった・・・失敗した。
心の中で激しく後悔して、ふと見ると
山田の目からぼろぽろと涙が落ちていて、ぎくりとする。
「あ・・・そ、その、なんだ・・・す、すまん!」
反射的に謝ってしまった。
今までやってきたことが水の泡となったわけだが、
女性の涙に俺はめっぽう弱い。
今度は俺が動揺する番だった。
「よくあるだろ、その場の雰囲気に流されて、
 ついやってしま・・・ってこれじゃフォローにならない・・・。
 そうだよな、いきなり俺にキスされるのは
 俺が女でも・・・ってこれじゃあ俺のキスは明らかに嫌なことに・・・」
「・・・このバカ上田!」
山田が握りこぶしで、一人でぶつくさ言っていた俺の胸に一撃食らわせた。



皆様は承知だと思うが、この女、外見に似合わず
腕っ節も足っ節も強い。(さっきの膝蹴りでもお分かりだろうが。)
だが、今叩かれた胸は、あまり痛くなかった。
泣いていて力が入っていなかったのだろうと最初は思った。
けれども、どうも様子がおかしい。
泣いているのか、怒っているのか、叩いたまま
胸に置かれた手が微妙に震えている。
「・・・・・・あの、もしもし?山田奈緒子さん?」
「・・・・・・あー、そうだよ」
泣き顔で、きっと俺をにらみつけて、
一気にまくし立てた。
「わかりましたよ、男と女は例え思いが通じ合って一旦告白しても
 なかなか先には進まないんですよ!だけど、それは
 心の準備ってものが要るからなんですよ、相手が
 いきなり自分を押し倒しでもしたら恋人だって驚くでしょうが!
 それまでの付き合いが長くて心地よかったら
 崩したくないって思うのが人間でしょ!?
 だから今まではっきり言えなかったんだよ、
 今までの関係崩したくなかったから!!」
激しい運動の後のように、山田はぜいぜいと空気を吸って、
落ち着いたというように大きく息を吐いた。



呆然として、俺は、
「・・・・・・え、それは、つまり」
山田はこの分からず屋!とでも言うように泣き顔で俺を睨んで、
「嫌じゃないって言ってるんです!!」
と、顔に手を当てて泣き始めた。
これは、つまり、・・・落ちたということか?
そう分かって、拍子抜けした、というよりは安心した、というか
だんだんうれしさが込みあがってきた。
ソファーの上で泣いている山田の背に手を回し、
こわごわ、できるだけやさしく抱きしめる。
「わかった・・・悪かったな。な?」
山田も、俺の首の後ろに手を回して抱きしめ返す。
それを感じて俺は、一応恋人になれたのかな、などと
バカなことを考えていた。



気まずくなったのが、夜になって
俺が風呂に入ってからだ。
ご存知かもしれないが、一人暮らしもあって
俺は風呂上りはパンツ一丁のことが多い。
いつもの調子で鼻歌交じりに風呂場から出てきて、
すっかり普段の様子に戻った山田と目が合ってしまった。
照れ、というよりはどっちも「しまった」という
顔をしたのは、言うまでも無い。
そうだ、今晩こいつはうちに泊まるのだ。

しまった。
私は今晩こいつのうちに泊まるんだった。
出された晩御飯をありがたく全部頂いて油断していた。
上田はその手のことに関して完全にアホなので、
この為に告白をさせようとしたとか
(危うくそれより先の行為に至りそうだったとか)、
油断させるために晩御飯を出したとは思っていないが、
完璧に夜、ここで寝ることを忘れていた。
どうしよう・・・昼間の感じで行くと、
間違いなく今夜・・・以下省略。



「・・・今夜は、俺のベット使って寝ろ」
完璧に固まって、どうにもならなくなったので
俺はしょうがなく先に口を開いた。
「ちょ、いやですよそんな、告白したその日にいきなり」
瞬時に山田の顔が真っ赤になる。
「そうじゃない!俺がソファーで寝るって言ってるんだ!」
「あ、そういうことか・・・」
あからさまにほっとしている。
ふん、その手のことに関してはホントにお子ちゃまだ。
「君みたいなお子ちゃまにすぐに手を出すほど
 僕は腐っていないんでね」

上田が小ばかにしたように言ったので、
さすがの私も少々ムカッと来た。
「な、私だってもう二十代後半なんだ、
 十分大人の女ですよ」
「はっ、大人の女だ?一緒に寝ると誤解して
 真っ赤になる大人の女がどこにいるんだよ」
からかっている。明らかにからかって楽しんでいる。
 ・・・ほおぉ。ふーん!私の魅力がそんなにわからないか。
ひさびさにかなり頭に来た。
「そこまで言うんだったら試せばいいじゃないですか」
「は?」
完璧に予想外というように、上田が間抜けに返事をした。



売り言葉に買い言葉、というんだっけ。こういうのは。
私は湯船に浸かってぼんやりと考えていた。
この二、三年、こういう事がよくある気がする。 
そうだ、インチキ霊能力者たちと勝負するときだ。 
ただし、あいつらの時はただトリックを暴けば良いが、
今からのことには、トリックも何も無い。
 ・・・私、馬鹿だ。
自分の愚かさを呪っていると、上田の声がした。
「のぼせてるのか?」
「いいえ!」
声が上ずってしまった。

風呂場にいる山田に聞こえないようにドアを離れて、
俺は台所で腹を抱えて笑いをこらえた。
 ・・・笑ってはいけない。山田にとっては貞操の危機だ。
しかし・・・。
本当に抱くのか?
俺にも多少戸惑いがあった。
山田はあの調子だし、何より俺のモノが・・・じゃない、
今まで俺たちはへんてこな関係で、
これからもそれが続くものと思っていた。
もし手を出すのだとしたら・・・そうなるのなら
あいつも俺も真面目にならなければ。



 ・・・遅い。
さっき声をかけてからゆうに三十分は経っている。
風呂に入ったのがそれより二十分前だから
もう五十分だ。
 ・・・のぼせてるんじゃないだろうな。
風呂場のドアをノックする。
「おい、山田。聞こえなかったら返事しろ」
返事は無い。聞こえてない。
「・・・入るぞ?殴るなよ?」
注意しておく。俺の風呂場のドアには鍵がついていない。
そっと開けると、かなり蒸気がこもっていてむんとする。
曇った眼鏡をぬぐって浴槽を見てみると、
案の定のぼせて顔を赤くした山田が寝ていた。
色白の全裸に分身が少なからず反応したことは隠さないが、
いきなり襲うほど俺は野獣ではない。
「・・・アホか」
聞こえていないことをいいことに大きくため息をついて、
浴槽から山田を抱き上げた。



バスタオルでくるんでベットまで運ぶ。
くれぐれも言っておく。俺は野獣ではない。
例えモノが反応しているとしても。
横たわらせて、団扇を持ってきて扇ぐ。
顔にかかっていた髪をよけてやる。
ふと、手が止まる。
上気した頬、聞こえてくる息。
 ・・・・・・。
だめだ。そんなことは断じて駄目だ。
手をどけようとしたとき、山田が目を開けた。


最終更新:2006年09月08日 09:21