後日談風
後編
息が出来ない。胸が苦しい。心臓が耳元でガンガンとうるさい。
こんなにうるさかったら、上田にまで聞こえてしまうじゃないか。
それとも上田も耳の奥がうるさいんだろうか。
押し付けられた唇からは微かにミントの匂いがする。たぶん風呂に入った時に、一緒に歯を磨いたんだろう。
いつもは屁理屈ばっかり紡ぎ出す唇は、マシュマロみたいに柔らかい。
なのにしっかりと私の唇を捕えていて、私はいつの間にかぎゅっとタオルを握り締めていた。
そんな私の手に上田の手が重なる。ただそれだけの事なのに、私の肩が大きく震えた。
どれ程そうしていただろうか。
呼吸を忘れていた私はあまりの息苦しさに、声にもならない声を発した。
それに気付いた上田が唇を離す。
まるで陸に揚げられた魚のようにパクパクと口を動かしながら新鮮な空気を吸い込むと、上田は楽しそうにニヤリと笑って乱れた私の髪を梳いた。
「う…上田さん…ちょっとタンマ」
「何だ今更」
「本当にヤる気なんですか?大体、貧乳は上田さんの好みじゃなかったんじゃ…」
悪あがきと言われても構わない。このまま無し崩し的にヤられるなんて、私のプライドが許さない。
顔を真っ赤にしながら、それでも必死になって逃げ道を探る私だったが、上田は少し眉を上げて面白い物を見るような目つきで私を見下ろした。
「確かに、YOUのような貧しい乳、すなわち貧乳を相手にしようと思う男は、世の中広しと言えどもそうはいないだろう」
──っ……わざわざ強調するな、馬鹿上田。
「だがな。俺は特別巨乳が好きと言う訳ではない。どうせヤるなら大きいに越した事はないが、胸の大きさのみに固執するほど度量が狭い訳でもないんだ。
それにYOUは俺のコンプレックスを目の当たりにした。ならば今度は俺がYOUのコンプレックスを見る番じゃないか」
「そ…そんな滅茶苦茶なっ!」
不敵な笑みを見せる上田の手が私のブラウスに掛る。意外にも手際良くボタンを外され、私には抵抗する暇もない。
ただただ馬鹿みたいに口先だけで抵抗しても、体が硬直したように動かないんだから仕方ない。
ボタンを全て外した上田はブラウスの前をはだけさせると、品定めでもするかのように私の体を見下ろした。
タオルで体を隠そうとしたが、それより早く上田の手が私の手を掴む。
馬乗りになった上田の視線が痛い。
「ふむ」
「な…何ですかっ」
言いたい事があるならはっきり言えば良いだろうが。
上田は暫く私の体を見つめていたが、やがていつもの人を馬鹿にしたような笑みのままきっぱりと言った。
「想像以上に小さいな」
「う、うるさいっ!!」
いちいち腹の立つ男だ。
ぎゃあぎゃあとわめいてやろうかと思ったが、上田の視線の強さに私は開き掛けた口を閉じた。
眼力、と言うんだろうか。
常日頃は馬鹿な事しか言わない男だが、時々酷く真面目な表情になる時がある。そんな時の上田の眼差しには、何故か強い力が宿る。
大抵の場合は馬鹿げた事にしか興味を示さないその眼差しは、今は真っ直ぐに私に向けられていた。
「まぁ大した問題にはならんだろう。重要なのは感度だからな」
「かっ…!?」
恥ずかしい事をさらりと告げた上田は私の胸元に唇を落とす。
熱い感覚に思わず息を飲むと、下着に隠されたままの胸が大きく上下に震えた。
肩紐に沿って上田の唇が移動する。
柔らかな唇の隙間から少し舌を出して、そっと私の体を這って行く。
ぬるりとした感触が鎖骨から首筋へと移動する。それは耳に触れると再びゆっくりと下へと降りる。
初めて受ける熱い感覚に、喉の奥は再びぴったりと張り付いた。
息を飲む。声が出ない。
溜め息の連続にも似た行為の隙間から、息を吸おうと必死になってあえぐ。
いつの間にか上田の手は私の手から離れ、背中とソファの隙間に差し込まれていた。
音もなくホックを外し下着がずらされる。
上田が胸の頂点を口に含むと、湿った感触と共にピチャリと微かな水音が聞こえた。
「──ひっ…!」
思わず漏れた声は、今まで私ですら聞いた事のないような声。
薄らと開けた目で上田を見ると、上田は楽しそうに目を細めた。
固くなった体を解すように、上田の唇が、舌が、私の体をくまなく這う。
触れられた箇所が熱を帯びる。それと同時に腰の辺りがもぞもぞして、私の喉は細かく震える。思考回路は霞が掛り、恥ずかしいと思う間もなく声が溢れた。
「やぅ…あっ。う…えだ…っ」
「感度はなかなか良好のようだな。貧相なのは胸だけでウェストのラインなどはそそる物がないとは言えん。人間誰しも取り柄があると言う事か」
こんな時でも上田の減らず口は相変わらずだ。
頭も動きも鈍った私の腕からブラウスと下着を取り去りながら、誰にともなくブツブツと呟く。
くしゃくしゃになったタオルのせいで私の両腕から衣服が外れる事はなかったが、そんな事は些細な事とばかりに再び上田の舌が私の体を這った。
持ち上げられた手首にブラウスが絡み付いて鬱陶しい。
掴んでいるタオルを手放せば済む話なのに、今の私にはそんな事すら考える余裕はない。
上田の両手が胸に触れる。
大きな手にすっぽりと収まるその姿を見ていたくなくて私は顔を逸らした。
「腐っても胸、か。寄せれば多少は胸らしく見えるな」
くっ…!人が気にしてる事を平気でズバズバと口にしやがって、この変態!
やんわりと私の胸を弄ぶ上田の言葉が耳に入る。
だけど悔しい事に負け惜しみすら口に出来ない。
「良かったな山田。生物の構造上、大きな物は小さくする事は不可能に近いが、小さな物を大きくする事は無理ではない。こうして俺が揉めば、この貧乳も少しはマシになるかも知れんぞ」
「う…っ…ん、うるさいっ!…そんな、んあっ…揉むな…っ!!」
これを快感と呼ぶのも悔しいが、上田の手は的確に私の熱を高めていく。時折胸を吸い上げては、楽しそうに笑う上田の声が聞こえた。
喉が乾く。空気が乾燥している訳じゃないのに、呼吸をすると熱い空気が肺に流れ込む。
──違う。空気が熱いんじゃない。私の体が熱いんだ。
いつの間に掻いたのか、汗が私の額を伝う。張り付いた髪が鬱陶しくて首を捻ると、上田の舌が首筋に滑り込んだ。
「う…上田さんっ!」
声と呼吸の隙間を縫って何とか声を絞り出す。
今まで見た事がないほどに間近で私を見上げる上田に、私は懇願するような想いで言葉を紡いだ。
「も…もう良いんじゃないですか?さっきのは…私が、悪かったって事で……」
この熱から逃れられるなら、土下座したって構わない。
そう考えた私の言葉に、上田は暫し無言のままで手の動きを止めた。
「何の事だ?」
──こんちくしょう!!
ニヤリと笑った上田の表情は悪戯小僧を通り越して悪魔の表情。
私の胸から手を滑らせスカートに手を掛けた上田は、軽々と私の腰を抱き上げた。
「YOUの胸が如何にコンプレックスの固まりなのかは分かったが、まだ肝心な事は分かっていない。すなわち、どれほど刺激に敏感か、と言う点についてだ。これは俺に取って非常に興味深い事象なのだよ。
俺のコンプレックスであるこの部分は、刺激に対して実に素直に反応するが、誰もがそうだとは限らない。
そしてYOU、君のコンプレックスである所の貧乳が何処まで刺激に対して敏感であるかは、此処を探るまでは正確に知る事は出来ない。つまりはそう言う事だ」
下着ごとスカートをずり下ろしながら、上田は訳の分からない理屈をこねる。
あまりの馬鹿さ加減に抵抗するのも忘れた私の部分に上田の指が触れた。
一際強い刺激に私の体は勝手に反応する。
ビクンと体を震わせた私を見て、上田は至って冷静な様子で──それが装っているだけなのかどうか、最早私には分からないが──ゆっくりと指を滑らせた。
感触か。水音か。もしくはその両方か。
楽しんででもいるかのように、規則正しく指で私の箇所を指で弄りながら、上田は私の足を割り開いて行く。
ふくらはぎや太股に唇を這わせながら、視線は一点を見据えて揺らぐ事はない。
恥ずかしさのあまり目を閉じてタオルを持つ手で口許を覆う。
──そう言えばこのタオル、上田さんの腰に付けられてたやつだっけ。
頭の片隅で冷静な自分が呟いたけれど、だからどうした、ともう一人の自分が呟いて冷静な私を追い出した。
タオルを口いっぱいに噛み締める。必死になって声を抑えようとするけれど、喉の奥から沸き上がる本能は──上田の言葉を借りるなら──実に素直に熱い吐息を吐き出した。
頭の中が白く侵食されて行く。
体の中にゆっくりと挿入される指の感触。
いつもはうるさいぐらい饒舌な上田は、この行為に没頭しているのか、ぴたりと口を閉ざしている。
それが酷く怖くて、でもその原因が私にあると自覚するのも嫌で、私はただ目を閉じて与えられる刺激だけに集中していた。
「YOU」
──もう嫌だ。こんな行為も、上田も嫌いだ。
「YOUっ」
──こんな悪い冗談みたいな、弄ぶようなヤり方なんて酷すぎる。
「おい、山田っ」
──ヤるなら早くヤれば良い。体の痛みなんて、心の痛みに比べれば大した事なんてない筈だ。
「山田奈緒子っ!」
ハッと目を開けると、上田の顔が近くにあった。
いつだって何を考えているのか掴めない男は、酷く心配そうな表情で私を見下ろしている。
──あぁ…頼むから、そんな顔をするな。……お願いだから、悪人面で性格の曲がった上田さんのままでいて下さい。
──そうしてくれれば、上田さんを悪者にして、私は、自分が馬鹿な女だったと思えるのに。
──今そんな表情を見せるのはずるいじゃないですか。
「…卑怯ですよ……上田さんは…」
泣きたいような、そうでないような。みぞおちの辺りにぐるぐると嫌な感情が渦巻く。
人の顔を見るのが、こんなに辛いと思ったのは始めてだった。
上田に私の真意が伝わる訳がない。
伝わって欲しいとも思わない。
いつもみたいに私を罵って、小馬鹿にした笑みで、ぐだぐだと下らない理屈を並べ立ててくれれば良い。
そうすればきっと、私も今までと同じように上田の事を馬鹿に出来る。
それがいつもの私達じゃないか。
なのに。
上田の手が、私の髪を梳いた。
頭を殴るでもなく、髪をぐしゃぐしゃにするでもなく、馬鹿にした様子なんて虫刺されの痕ほどもなく、上田の手は私の髪を梳いていた。
頬に。胸に。唇が落とされる。
腰に。足に。ついばむ様な動きで、何度も何度も。
──この男は卑怯だ。
今まで何度も思った事を私は改めて確信する。
肝心な言葉もフォローする素振りもない。
佐和子に捕まりそうになった時だって、自分と美佐子さんが助かる為だけに、私を佐和子に引き渡した男じゃないか。
──あぁ……今更か。
熱い固まりが触れる。
考えなくてもそれが何なのか、私には良く分かっている。
来るであろう痛みに備えて奥歯をぎゅっと噛み締める。
額に唇が落とされ薄く瞼を押し上げると、酷く優しい笑みを浮かべた上田の眼差しが私を捕えていた。
結局の所、本当の馬鹿は私だ。
馬鹿だ巨根だと上田を罵りはしていたが、私自身が一番馬鹿なんだ。
行為の後、体を清めようと温いシャワーを浴びながら、私は一人ぼんやりとしていた。
体を取り巻く熱も、胸の奥にうずいていた感情も、今はなりを潜めてもう何処にもない。
もうもうと湯気が立ち昇る風呂場は視界が悪く、シャンプーやボディソープのボトルの文字も見えない。
「……大馬鹿者だな、本当に」
洗面器に湯船のお湯を汲み入れて呟いた私は、それまでの気持ちを切り替えるように、勢い良くお湯を被った。
上田に罠を仕掛けていた事を忘れていた私の悲鳴に上田がほくそ笑んでいたのは、また、別の話である。
最終更新:2006年09月04日 10:21