星が降る by ◆QKZh6v4e9wさん

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「俺には俺のロンリーでスライムな生活があるからね」
「なんだそれ」

あいつはいつでも簡単に押し掛けてこようとする。俺の高級マンションに。
静かで快適な俺の場所に、行き場のない山田が逃げ込んでくる。
アパートを追い出されるのは家賃を滞納するからだ。
成年に達している社会人としてどうなんだ。自分のだらしなさを呪うべきだ。
来るな。来るんじゃない。俺はいつでも気が進まない。

山田は俺の牛乳を飲んでしまう。
張り紙をしても口で言っても、いつの間にやら飲んでしまう。
それに、あいつは寝相が悪いし、自分の物をシスティマティックに片付けようとしない。
浅はかな色のステージ衣装がいつかのようにそのへんの壁や椅子の背に翻る。
想像するだに悪夢のような光景だ。
可愛くないあいつの亀だって早晩来るに違いない。どうせこっそり持ち込むんだろう。
それに一体どこに寝る場所がある。
ゲストルームはひとつしかないし、そこは俺の職業柄多くの本を詰め込んだ書庫になっている。
せいぜい足の踏み場くらいしかないんだぞ。

そう言うと山田はエヘヘッといつもの不気味な笑顔を見せた。
私スリムですから足の踏み場があればって、ただ躯つきが貧相なだけだろうが。
本は気になりません、か。そりゃそうだろう。普段youは本など読まないからな。
上田さんの本でなければもっと平気です、だと。失敬な。
地震が起きたらどうするつもりだ。本棚は勿論対策を施しているが本は別だ。
あの重量だと確実に命に関わる。
そう言うと、上田が助けにくるしと山田はまたエヘヘッと不気味に笑った。

──馬鹿を言うな。地震は惑星のくしゃみのような現象だ。いつ起こるかわからない。
いくら慈悲深く勇気と博愛精神に溢れた俺でも咄嗟に駆けつけることなんかできないぞ。
俺はただの天才物理学者で、youの好きな暴れん坊将軍でも水戸黄門でもないんだ。

そう言うとあいつはまた笑った。愛想笑いのつもりなんだろう。
いつもいつも仏頂面のくせに。…不気味だから笑うな。

あいつはいつでも俺に向けた側とは反対側の手を差し出してくる。
おずおずと、気付かれないように、でも疑うことなく指を伸ばして。
きっと、何度か行き掛りでうっかり助けたのが悪かったんだろう。

そして山田はついに俺の聖域に転がり込んできた。
案の定、大家さんから取り戻した亀とステージ衣装を抱えて。
図々しいにも程がある。来るなとあれだけ言ったのに。
だが今回だけは無碍に追い出すわけにもいかなかった。
池田荘は本当に取り壊されたからだ。


 *

「住まわせてやっとられるそうですなセンセ。山田を」

俺は回覧文書から目をあげ、椅子を廻して、なぜかソファで油を売っている矢部警部補を眺めた。
「それをどこでお聞きに」
「蛇の道はヘビ…いうのは嘘でしてね、先日バッタリ道であいつに出くわしたんです」

──えらいツヤツヤして元気そうやないか。あのボロアパートからついに追い出されたんやて。
お前、今どこに住んどんねん。なにかまたちんけな犯罪に手ぇ染めとるんやないやろな。
──なんでだっ。違いますよ、どうしても来てほしいって頼まれたから、上田のマンションに住んでやってるんです。

「矢部さん。その山田の発言は全面的に誤りです」
「意外でしたなぁ」
矢部さんは茶を啜り、俺の顔を上目遣いにじっと見た。
「てっきりセンセは、もっとこう、バーンと巨乳で色気のあるタイプがお好きだとばかり」
「聞いてらっしゃいますか、矢部さん」
「いやいや、山田いうのは意外でしたけど、何も恥ずかしい事やないですよセンセ」
矢部さんは掌をあげて俺を遮り、ニヤニヤしながら立ち上がった。
「で、秋葉の奴がそりゃあ落ち込んで。…ま、ついに高村光太郎卒業できて良かったやないですか。ね」
「いや、あいつとは一切そういう関係では」
「またまたぁ。あ、お茶をごちそうさまでした、今日はこのへんで失礼します」
矢部さんはさっと敬礼をし、ウィンクをひとつ残した。
「確かセンセは山田とは随分年が離れてましたな。……躯壊さない程度にがんばってくださいね」
「どういう意味ですか。待ってください」
俺は誤解を訂正しようとしたが、不自然な頭髪を抑えながら、矢部さんは風のように研究室を去ってしまった。

「………」

俺は溜め息をついて回覧文書を持ち、立ち上がった。
部屋を出たところで隣の研究室の主任教授が扉を避けてのけぞるのに出くわした。
ちょうどいい。俺は書類を突き出した。
「回覧です。至急らしいので早めにお願いします」
扉を閉めようとすると、彼はなんだか慌てふためいて俺を見上げた。
「ちょ、ちょっと。今の話は本当かね」
「何の話ですか」
「悪いとは思ったんだが、偶然聞こえてしまったんだ。若い巨乳の女性と一緒に住んでいて躯を壊しそうだと」
「……」
俺は眉をしかめた。確かに山田は若い女性の範疇に入るが残りの部分に真実はひとかけらも無い。
「愛人かね」
「違います!」
まさか。俺の口元はひきつった。
「ふしだらな関係は一切ありません。アレはただの居候で奉公人で、そう、いわば奴隷のようなものです」
「そりゃまずいよ、君。君のような若くて独身で人気者の有名教授が」
主任教授は嬉しそうにねちねちと言った。
「ただでさえ学内で君は目立つ。妬みや中傷や風当たりも強い。なにかと噂されるような事は避けなくちゃ」
妬んでるのはあなたでしょうなどとは口が裂けても言わない人格者の俺は頷いた。
「ご忠告感謝いたします。あの女は早々に追い出しますからご安心ください」
主任教授は目を剥いた。
「ええっ。そりゃもっとまずいんじゃないのか、君。奴隷のように弄んだ女性を捨てるというのは」
「そんなんじゃないと言ってるじゃないですか」
俺の口元はもっとひきつった。一度耳鼻科に行ったほうがいいのではないか、この男は。
「いやいや。まあね、男女間にはいろいろあるけどね…身は慎んだほうがいいと思うんだよ、私はね」
主任教授は俺の顔を嬉しそうに見上げ、小躍りしながら自分の部屋に去って行った。


「……」
胸が悪くなり、さっさと扉を閉めようとして俺は複数の視線に気がついた。
目をあげると、階段の角や廊下の隅から学生や院生や講師たちが好奇心剥き出しでこちらを見つめている。
じろりと睨むとさっと顔をそらしたり会話を始めるそのわざとらしさに、もっと気分が悪くなる。
「………」
さっきの主任教授の妄想を、全部聞かれたらしい。

あっという間に淫らでふしだらな上田教授の噂が学内を駆け巡るに違いない。
俺は机に戻り、電話線のプラグを抜いた。
今日ばかりは電話になんか出たくない。

 *

「なんでだ上田!」
「うるさい。即刻出て行け!」
俺は手当たり次第に中身を突っ込んだ山田のトランクを抱え、貧乳の肩を掴んで玄関に連行した。
「金はやる。どこか別のアパートを借りろ」
「居ていいって言ったじゃん!」
「撤回する。俺の教授生命に関わるかもしれない事態になったんだ」

電話線を抜いたにも関わらず、今日はあれから仕事になんかならなかった。
とっかえひっかえ同僚や学生や学食や生協の職員が覗きにきて根掘り葉掘り俺の『スキャンダル』を暴こうとする。
最後に事務長や学長まで相次いで現れたのでこれはいかんと俺も腹を括ったというわけだ。

「…馘になりそうなのか」
山田の声が神妙になったので俺は頷いてやった。
「学内はいかがわしい噂で持ち切りだ。この俺が、若い愛人を奴隷のように調教して散々に弄び挙げ句の果てに何度も妊娠させたとか堕胎させたとか客をとらせたとか乱交パーティーを開催したとか隠し子がいるとかだな…!」
俺は甦る怒りに拳を握った。
「事務長なんか、精力増進のいい薬があると販売会社の電話番号を置いていった。学長は君はSMクラブというものには興味ないかねと耳打ちしやがった」
「それ単に遊ばれてるだけなんじゃないか、上田」
山田は急にリラックスした表情になり、トランクをとんと置いた。
「もともとお前のような嘘つきを教授にしてるような大学だぞ。今さら言動を問題にするとは思えない」
「君は何もわかっていない」
俺はいらいらと髪を掻きむしった。
「優秀ゆえに敵の多い俺のような人間は、それだけ慎重にならなければならないんだ!」
「小心者め。自意識過剰ですよ、だいたい、何もないじゃないですか、上田さんと私」
山田の呑気な台詞に俺は顔をあげた。
「俺たちだけ知ってたって世間には通用しないんだよ!」
「あ、焦げそう」
山田は身を翻し、キッチンに走り去った。
後を追いかけ、平鍋の蓋をあけている山田に俺はくどくどと続けた。
「とにかくもうここにyouを置いておくことはできない。俺は静かな環境で研究に没頭したいんだ」
「私、科技大に行きましょうか」
山田は食器棚から皿を出し、料理を盛りつけながら言った。
「上田さんとは何もありませんって、説明をしに」
「来るんじゃない!」
俺は叫んだ。
「余計に事態が混乱する」

山田はこれまでに数限りなく、何度も何度も俺の研究室を訪れている。
警備員達とは顔なじみだし学生達だって彼女の顔は知っている。
超常現象の謎解きを手伝わせてやっているただの助手だと説明していたのに、その彼女と同棲していると知れれば噂に尾ひれがつく事間違いなしだ。
──数年越しの爛れた関係。
清廉高潔でクールでダンディな俺を慕っている教え子たちがどんなに心に傷を負い、深く失望することか。
今の噂だけでも大ダメージなのに、主任教授や事務長や学長のイヤらしいニヤニヤ笑いが目に浮かぶ。



「出来た。上田さん、御飯にしましょ。今日はカレイの煮付けです。ぼけっとしてないで、皿、運べ」
山田はさっさと炊飯ジャーを開けた。
「御飯どころじゃないだろ!…ん?カレイの煮付け…」
俺は操られるように皿を見た。
山田は時々きてれつなものを作るが、基本的に料理の腕が悪い訳ではない。魚の煮付けなんかはうまい。
煮汁の照りもつややかなふっくらと身の厚いカレイの、食欲をそそる匂いが鼻をつく。
俺の財布だと思ってか、貧乏人のくせにいい食材を買ってくるから余計に美味い料理になるのだろう。
これを食ってから追い出す事に決め、俺は自分の皿を運んだ。

「アパート借りろっていうけど、そんな急には無理ですよ」
山田は、漬け物を挟んだ箸を振った。
「明日から探しますから、決まるまではここに置いてください」
「……いいのか」
俺は意外の念に打たれてカレイの皿から顔をあげた。
もっとごねるかと思っていたのだ。違約金とか慰謝料とか迷惑料とか。
勿論払うつもりはないが。
「はい。新しいアパートの敷金礼金に当座の家賃さえ戴ければ、私のほうは問題はありませんから」
山田はカレイの身をむしった。
「………」
俺は茶碗を突き出した。
「おかわり」
「自分でやれ」
席をたち、茶碗をよそいながら俺は言った。
「家賃だけどな、今度はちゃんと払えよ。また泣きついてきても知らないからな」
「わかってますよ」
御飯を口に含んだ山田のもごもごとした声がする。
「だから、家賃は絶対に、月に一万円位のとこ探そうと思ってるんです」
「有り得ないだろ」
「池田荘は一万円も後半だったからきちんきちんと払うのは正直キツかったんですよ」
「払ってないじゃないか」

席に戻ってみると俺のカレイが小さくなっていた。
「食ったな」
「いいえ」
「わかるんだよ!この生姜の切れの位置が違う」
「細かいぞ上田!……だから、ちょっと時間かかっちゃうかもしれませんけど、いいですか」
「有り得るのか、一万円なんて」
「根気よく探せばきっと。…あっ!私のカレイ!」
俺は箸を伸ばして素早く山田のカレイをほぐし、奪い去った。
口の中に放り込む。脂がのっていて美味い。
「わかったよ。東京全域を探せばどこかにあるだろう……それまでは居ていい」
「あ、でも。花やしきにも近くないと困るんですよね」
「贅沢言ってるといつまでたっても見つからないぞ」
山田がこっそり伸ばして来た箸を俺は素早く箸で防いだ。
「安心したよ、あっさりとyouが承諾してくれて」
「何言ってんですか。私だって不本意だったんですってば、ここに住むの。上田は威張るし浅草は遠すぎるし」

「そうか…。これでやっとそれぞれの人生に戻れるというわけだな」
残り少ないカレイに集中しながら俺は呟いた。
山田は箸を戻して立ち上がり、皿を手にしてエヘヘッと笑った。
「…実は、おかわりあるんです。カレイ。三枚組だったからあと一枚だけ」
「何だと」
俺は慌てて皿を掴み、立ち上がった。キッチンに走り込んでいく山田を追う。
「待て、you!!金を出したのは俺だ。つまりそのカレイは俺のものだ!」
「何言ってんだっ。料理したのは私だぞ!」
……散々もめたあと、半分に分けるという事でなんとか事態は収束した。
なぜ山田に半分もやらなければならないんだ。
食費だけじゃない。ただで居候させてやってるんだぞ。
変な噂は流れるし、カレイは美味いがあまりにも理不尽だ。

最終更新:2006年11月17日 22:17