pink marriage blue by ◆QKZh6v4e9w さん

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長い付き合いだからだ。
だが、悪口雑言には慣れっこではあるものの、奈緒子の様子がちょっといつもとは違う事には気付いていた。
照れ隠しではなく、本当に苛々しているみたいだ。
……奈緒子でも、マリッジブルーという状態になることがあるのだろうか。

「you」
上田は口を開いた。
「何をひねくれてるんだ。君だって式場の素人モデルにならないかと誘われていたじゃないか」
奈緒子はむくれて俯いた。
「でかくてカッコいい上田さん込みでですけどね。良かったですね、モテモテで」
「みんな、俺だけじゃなくて、その、君の事も……褒めてただろ」
「ええ。だって、一応花嫁なんだから褒めなきゃまずいじゃないですか」
「写真撮影の時、助手の人が君の傍で何度もコードにつまずいてたじゃないか」
「あの人、うっかり八兵衛並の慌て者でしたね」
「君に見蕩れてたんだよ」
「コントですか」
「…覗いていたカップルの女性はともかく、男のほうは、結構その……君をちらちら見ていたぞ」
「ホントは上田さんを睨んでただけだって言うんでしょ、どうせ」
「大学で噂になってる。俺の結婚相手は貧、いや、美人らしいと」
「よく知らない女性とか若くして死んだ女性ってたいていそう言われるんですってね。で?」

「you」
上田は堪えきれない笑いで口のまわりのひげをひきつらせた。
「どこまでひねくれ者なんだ、君は」
「上田」
奈緒子はじろりと上田を見た。
「………」
上田は咳払いをして目をそらした。
「つまりだな……。そう、アレだ。キレイ、いや、キャッカンテキに見れば、君は黙って座っていれば、俺が傍にいなくても相当にアレなんだ」
「アレって」
「アレはアレだよ。つまりソレだ」
「上田」
奈緒子が呆然とした声を出した。
「キレイって言ったのか、今」
何を今更赤くなっているのだろう。
「幻聴だ」
「言った」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
「言った!」
「言ってない!」
「言った!言いました!認めろコラッ」






不毛な言い争いをしながらも奈緒子の掌は上田の胸に、上田の掌は奈緒子の肩に留まっていた。
「you、いくらひねくれ者でも、ふつうは自分の容姿についての客観性くらいは持ってるもんじゃないのか」
「……自分じゃそれなりにそう思ってますよ、でも」
奈緒子は唇を尖らせた。
「そんな事、意地悪な誰かは全然言ってくれないし。いつも自分の事ばっかだし」
「誰かって誰だ」
「………それに」
奈緒子は続けた。
「上田さんがカッコいいとか……そんなの、とっくに知っていましたよ、私」
反射的に満面の笑みを浮かべた上田に奈緒子は言った。
「でも、そう思った相手は昨日みんなが褒めてた式服とか羽織袴の人じゃなくて」
彼女は俯いた。
唇がかすかにほころんだ。
「……あの島に迎えに来てくれた時の上田さんなんです」
上田は胸をつかれて黙り込んだ。
「よれよれのシャツ着て、風で髪が余計にぼさぼさで」
「………」
「役にたたないリトマス試験紙とか入ってるカバンもって変な靴はいてて」
「………」
「そういう間抜けな格好してた上田さんなんですよ」
「………」
「だから自慢すんなボケ」
「………」
奈緒子の笑顔は本当に綺麗だ。

上田は指に力を込めた。
「な。…明日も、バイト忙しいのか」
「………」
奈緒子は口ごもり、上田の胸に顔を伏せた。
「you」
「明日は休みです」
奈緒子のつむじを見下ろした上田は囁いた。
「……仕事、あとちょっとだから」
奈緒子は頷いた。
上田は小さく咳払いする。
「……上田?」

奈緒子の手に力が入るのを上田は感じ、背をかがめた。
仰向いた彼女の頬を両手で挟んで視線をあわせた。
「昨日、こうしたかったんだよ」
「………」
奈緒子の瞳がやさしく潤んだ。
「上田さん」
目を閉じ、つま先立ちをして、彼女のほうから唇を押しつけてきた。
華奢な彼女をすっぽり抱いて上田は応えた。
互いの唇をほどき、舌を互いに触れ合わせる。
吐息が乱れ、躯が熱くなる。
「……奈緒子…」
これ以上突っ走ってはいけない。
夢中になるのは、仕事を終えてマンションに戻ってからでもいいはずだ。
頭ではそう考えているのに、腕の中の温もりが彼を誘う。
掌が何度も何度も奈緒子の背を撫で始め、躯が勝手にくっついていく。
昨日逢えなかったから。
彼女が居ないと上田の躯はきっととても寂しいのだ。







「上田さん」
奈緒子が、だんだん激しくなっていくキスの合間に囁いた。
「あの……変な事、考えて…ませんか」
「変な事じゃない」
「………」
「たとえ変な事だとしても相手は君で、君はもうすぐ俺の妻になる女性だ。何の問題もないだろう」
奈緒子は赤くなりながら上田に囁いた。
「問題大ありです。ここ、研究室じゃないですか」
「そうだ。幸いにもソファがある」
「おいっ……んぅ」
上田は奈緒子を抱えて黙らせ、身じろぎしてソファに倒れ込んだ。
「上田」
「黙れよ」
上田は興奮した声で囁いた。
「あんな事で焼きもちをやくなんて、俺を信じてない証拠じゃないか。youにはお仕置きだ」
「したいだけだろ」
「君もじゃないのか。目が潤んでる」
ためらいがちに抵抗を続けながら、奈緒子の瞳はさらに潤んだ。
「上田さん…ちょっと、あの……」
「待てよ、上着脱ぐから」
上田はいそいそと奈緒子のこめかみにキスし、ジャケットを脱ごうと上体を起こした。

どさりと大きな音がした。

顔をあげた上田の目に、床に散乱したファイルケースやパンフレットの束が見えた。
視線をあげると、開いたドアの影にさっきの学生の驚愕の顔があった。
「君は」
「……上田?」
奈緒子が躯をひねり、ドアを見た。
「!!!!」
弾かれたように奈緒子は上田を押しのけ身を起こした。
「す」
学生がぱくぱく口を開閉させた。
「すみません。一度ノックしたんですがお返事がなくて」
「………今後は、力一杯三度はノックする習慣を身につけたまえ。無事に卒業したいだろう?ん?」
「はいっ」
脱兎の如く逃げていく学生の足音が夜の廊下に響く。
「ふん」
横暴な教授は怒りの鼻息をついた。
「you、邪魔者は消えたよ。さあ」
「って鍵してないお前が悪い。さっさと仕事しろ上田!!」
向き直った上田は、奈緒子に一発殴られた。






 *

机に戻り、採点しながら上田はぶつぶつと呟いた。
「……大体、教授ともあろう俺が学問の殿堂で本気で事に及ぼうとしていると誤解するほうが間違っているよ。ちょっと息抜きでふざけてただけじゃないか。なあ、you」
「その気だったじゃん」
「いや…そんな事は」
奈緒子は溜め息をつき、眺めていたパンフレットを閉じた。
「こんなもの配るのか上田」
「俺の事を詳しく知りたい人がいるだろうからな」
「本まで出しといて、まだ足りないのか」
「人気者の義務という奴だ」
「………」
奈緒子は、ふいに赤くなってパンフレットをもみくちゃにした。
「…上田さんのせいで、私もう二度とここに来れないじゃないですか」
「大丈夫だよ。口止めするから。俺はあいつの指導教官だぞ。ククク」
「……」
奈緒子は呆れたように上田を見た。
「そういう問題じゃなくて」
「youだって厭がってなかったじゃないか。……昨日は俺の事嫌いだったんだろ。マリッジブルーって奴か」
「………そういうところが嫌いです」
「毎日言ってやるよ。結婚したら」
上田はにやっとした。
「俺の事嫌いだったんだろって」
「上田さんってホント性格良くないですよね」
奈緒子はまた口を尖らせた。
だが上田にはわかる。彼女は本気で怒ってはいない。
レポートの山もだいぶ減ってきた。
「上田さんって、俺を好きになってはいけないとか愛してはいけないとか、最初っからそんな事ばっか言ってましたよね」
「そうだったかな」
「最近気付いたんですけど」
「何に?」
「暗示かけてたんじゃん、あれ」
「暗示?」
「暗示ですよ。何とも思ってない相手でも、ああいうふうに言われるとなんだか気になってくるでしょ」
「気にしてたのか」
「………仕事しろ、仕事っ!」
「おう」

あと五人分。
「………」
「……そういえば、you」
「………」
「君は何かをしてはいけないと言われると、必ずそうしてしまう人間だったな」
「………」
「ひねくれ者……くくくっ…」
「………」
「俺の事嫌いだったんだろ」
「黙れ根性悪」




最終更新:2006年11月05日 11:26