池田荘にて by ◆QKZh6v4e9wさん



クーラーの存在しないアパートに戻ってくると部屋にはいつものように日本科技大学の教授が座っていた。
ほとんど乾いた下着類が押しやられた洗濯紐には万国旗が翻り、窓際には紙で作った花がいくつもとめられている。
上田は頭には赤と緑の厚紙製のとんがり帽子、首にはこの暑い最中に金ぴかのモールを幾重にも巻いていた。
「ハッピ~~ッ、バ~~スデ~~~!」
手にしたクラッカーの紐を引き、彼は白く輝く歯を見せた。

奈緒子は今更もう驚いた表情などみじんも見せなかった。
疲れた風情で足元に本日ゲットのパンの耳の袋を置く。
「なにやってるんですか上田さん」
上田は新しいクラッカーをとりあげ、またぽんとはじかせた。
「見ればわかるだろう。ハッピーバースデー」
「どう見てもクリスマスだ。やめろ暑くるしい」
上田の前にはケーキの箱や大きな鳥腿の照り焼き、シャンメリーなどが並んでいる。

それらをちらちらと気にしながら奈緒子は座った。
「何企んでるのか知らないけど、私の誕生日は今日じゃないですよ」
「なぜ貧乳、かつ水虫、かつ魚の目のyouの誕生日などを祝ってやる必要がある?そんな呪われた日なんかじゃない!今日はな、俺の誕生日だ」
「そうだっけ?」
「知らないのか。なんという認識不足だ」
上田は偉そうにとんがり帽子を揺らせた。
「ノーベル賞獲得の暁には、この上田次郎の生まれた日が国民の祝日に制定される可能性は非常に高いというのに」
「絶対にされませんから」
上田はまたクラッカーを取り上げて鳴らした。
「はははっ。誕生パーティーは楽しいなぁ」
「ちょっと待て。なんで私の部屋でやる?」
「you!」
びしっと上田は奈緒子の鼻先を指差した。
「余計な事を考えるな。常在餓鬼道のyouの前に食パン以外の高カロリーの食べ物が存在する、その奇跡だけに目を向けるんだ」
「つまり祝ってくれる友達がただの一人もいないんだな。まあいい、仕方ないから祝ってやる」

奈緒子は照りも美しく輝く腿肉に熱い視線を向けた。
「…でかい!奮発したな、上田。……誕生パーティーは楽しいなぁ、えへへへっ!」
「よし乾杯だ!」
上田はシャンメリーをグラスに注ぎ、奈緒子に渡した。
「上田次郎次期名誉教授のますますのご発展とご活躍を祈って!」
「明日にでも上田とのこの腐れ縁がさくっと切れますように」
二人はグラスを干した。



奈緒子は急いでグラスを置き、腿肉に手を延ばした。
上田のことである。いつ気が変わらないとも限らない。
「じゃ、遠慮なく!」
「待て!」
上田がその指先をクラッカーで抑えつけた。
「その前に、出してもらおうか」
「何をですか」
奈緒子の視線は一直線に腿肉だけに向かっている。
上田はにんまりと眼鏡の奥のつぶらな目を細めた。
「誕生パーティーで要求するものといえば、誕生日のプレゼントと相場は決まっているだろう」
「せこっ。いつも世話をしてやっているこの私から貢ぎ物をとるというのか、上田?水臭い奴だ……なっ、私たちの仲じゃないか」
「我々の間にそんな仲など存在しない!」
上田は腿肉を押しやり、奈緒子の指をつかみあげた。
「youがプレゼントはおろか普段二百円以上の持ち合わせすらない事は百も承知だ。大丈夫だ、今回は持ち合わせているもので勘弁してやる」
「亀とハムスターは譲らないぞ!」
「誰があんな生き物など!俺の狙いはな、山田」
上田は奈緒子の目の前にぐいと顔を近づけた。
聞き取りにくい低音が鼓膜をくすぐった。
「youだ」

「え?」
眉間に皺を寄せた奈緒子はまじまじと間近の上田の顔を眺めた。
その間にせこせこと膝で移動した上田は卓をおしやって腿肉を遠ざけてしまった。
「you……わかっているんだ、最初に出会った瞬間からyouが俺の事を密かに慕い、貧乳、いや、胸をいためているという事はな」

声は言いくるめるような騙くらかすような甘い響きを帯びている。
「う、上田。何を言っているんだ。何か悪いものでも食ったのか……にゃっ!?」
大きな手がそっと胸に這い上がってきたことに気付き、奈緒子は頬を赤らめた。
「さ、ささ触るなっ」
「恥ずかしがる事などあるものか。youの救いのない貧乳ぶりに関しては熟知しているから隠す必要もない。しかも男女間の行為のあらゆる資料を予習済みのこの俺だ。処女を捧げるにこれ以上の相手はいないぞ、山田奈緒子!」
「誰が処女だっ」
奈緒子は急いで身を捩ろうとしたが相手は通信教育で空手を極めるという非常識を体現する上田次郎である。
素早く腕を捻られてあっさり畳面に押し伏せられてしまった。
「ん~~~、いい匂いだ……you……リンスは何を使っている…?」
頬に乱れた黒髪の匂いをうっとりと嗅いでいる上田の表情と台詞に、奈緒子は不吉な既視感を覚えた。
「はっ……う、上田っ!?まさか、お前は例の怪し気なあれを服んで…」
「うむ、例のポ○モン島の媚薬成分をちょっとな。youのような貧乳を襲うにはやはりクスリの力が必要だ」
「ポ○モンじゃない。黒門島だ!」
「ふっふっふ……」
上田が笑い出した。
「ふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっふっ」
「意味もなく長々と笑うなっ」
「長く笑いたくもなるじゃないか……さっき、youも媚薬を服んだんだぞ。油断したな…」
「え」
奈緒子の顔から血の気がひく。
今しがた乾杯したシャンメリーに違いない。楽しい誕生パーティーにかこつけて、なんという卑劣漢か。
「上田!放せ、そこからおりろ」
「超即効性の媚薬だ。どうだ~、ドキドキしてきただろう…?」
「う」
上田の指がやけに不器用に奈緒子のブラウスの胸元を探った。釦をうまく外せないようだった。
「……うむ、急いではずすんだ、山田!」
「なんで私が?」
「強がるな……ほ~ら、youも、すっかり…目が潤んでいるじゃないか」
それはお前だろうと言いかけて、奈緒子は頬が熱い事に気がついた。
それどころかやたらでかい上田の重い躯がぴったり密着した部分も熱い。特に股間のあたりが熱い。
「い、いやだ。やめろ、上田」
「こうして間近で見ると…いや…わかっはていたが、よく見ると……可愛いぞ、 you」
奈緒子は耳を疑い、自分の正気を疑い、最後にはやはり上田の狂気に烙印を押す事にした。

最終更新:2006年08月31日 21:52