鎖 by ◆QKZh6v4e9w さん



15
──気持ちいい。
上田さん、そんなに、して、しないで、して、して、して。
とっても、気持ち、いい……。

「上田さん」
奈緒子は囁いた。
上田はもう返事をしなかった。奈緒子の名を呼びながら、夢中で彼女を抉っている。
聞こえなくてもかまわない。
貪る上田に奈緒子は途切れ途切れに囁き続けた。
「お願い──放さないで──」
絶え間なく流れ込んでくるジグソーのように切れ切れの上田の断片。
「離れないで──」
まさぐる長い指。奈緒子のくびすじに擦り付けられる頬、荒々しい息遣い。
耳朶に触れる唇。髪。肌にざらつく顎のひげ。熱い舌、奈緒子の尻を掴んで引き寄せる大きな掌。
上田の匂い。深く刻まれた眉間の皺。力強い腕。喘ぎ。打ち付けられる分厚い腰、奈緒子を圧し潰す胸。
溶け合いそうな鼓動。上田の、うわずった声。
「奈緒子」
もう奈緒子の躯のあちこちが痙攣を始めている。
ただ上田のための器でいるだけの事がどうしてこんなに気持ちいいのか。

「ずっと、一緒に、いたい………!」
「いる。君と、一緒に、いる」
壊れてしまうその寸前、奈緒子は上田を見上げた。
少しだけ苦しそうにすがめられた、大きな目。
熱に潤んだその目には奈緒子の同じ目が映っていた。
───スキ。
「上田さんっ───!!」
奈緒子は背中をしならせて、細く叫んだ。
限界を越えそうに矯められていた圧力が突然に失せた。息ができない。
奈緒子を抱きすくめる、上田の腕の強さだけが彼女を繋ぎ止める鎖だった。

足元がぐにゃりと歪み、一気に押し上げられる衝撃。

「あっ……あ、ああぁああっ!!上田さんっ、うえださん……!!」
その激しさに恐怖を感じ、奈緒子は最後の力を振り絞って上田に躯を擦りつけた。
「奈緒子!」
上田の声が鼓膜を圧し、じいんと痺れた余韻が彼女の不安を麻痺させる。
いきなり無限に広がった世界。
快楽と呼ぶにはあまりにも暴力的な爆発。
「く、あ、んんっ、んっ、んーーーーーーーーーっ………!」
悲鳴だった。
くぐもったその声が、拡散していく快感につれ瞬く間に艶をまぶした呻きに変わっていく。

奈緒子の奥に、躯の一番奥に、上田の重い塊が弾けて、うねって、もっと奥まで潜ろうとして。
見えるはずがないのに、行き場のないその場所で溢れようとするその濁流が見えた気がした。

「…ふぅ…ん、んんぅ…っあ………」
かき抱かれた腰から伸びた奈緒子の足が、男が脈打つ間隔を反映してつつましやかに震えている。
「はぁ…あん……あぁん……」
虚ろに声を漏らし、躯を甘く波打たせ、奈緒子はゆっくりと上田の腕に崩れ落ちた。



16

 *

頬から髪が払われた。
上田の、興奮の余韻を色濃く残した呼吸音と鼓動。
汗にまみれ、上気した肌の上を、深い声が滑っていく。
「行為自体は体位も持続時間も普段とそう変わらないはずなんだ。だが」

奈緒子はけだるく瞼をあげた。
傍らに上田がいる。腰に奈緒子の片脚が白く絡まったままだ。
まだ繋がっていることを躯で悟り、奈緒子はさっと頬を染めた。
乱れてうねった髪の下に上田の肩を敷いている──躯の上からは降りてくれたらしい。
下半身は薄い膜がかかっているように痺れ、頭がぼんやりしている。──今、何時なんだろう。
「さっきの射精時における強烈なオーガズムはだ。やはり性行為の本来の目的である生殖活動をだな、相互了解の下行っているという感動と共鳴が一種の…おおぅ」
上田の声が乱れた。
「まただ。絶妙なうねりのベクトルが……you…俺を涸らす気なのか?」

「知りませんよ。こら、動くな!……このスケベ」
勝手に上田を刺激しているらしい躯についてはどうしようもないので諦めて、奈緒子は小さく罵った。
上田が片手をしっかり握ってくれている事に今更ながらに気がつく。
「今まで君の中でゆっくり過ごしたことがなかったからな。もったいないじゃないか」
「……」
「…あのな」
「……」
「素晴らしかったよ。youのいやらしくも情熱的かつ巧みなフェ──」
「い、いちいち言うんじゃないっ」
真っ赤になった奈緒子の目尻から、ふいに潤みが伝った。
髪の張り付いたこめかみに道をつくり、シーツにこぼれ落ちていく。
「お、おい!──悪かった!すぐに抜くから、泣くんじゃない!」
「待って!」
奈緒子は急いで握った手に力を込めた。
「違います。厭だからじゃありません。……上田さん、知ってるくせに」

「しかしな」
上田は照れくさ気に咳払いした。
「…そ、そうだ。こうしてると辛いか?その、俺のはちょっと…いや、かなり…」
奈緒子は上田の胸に頬をつけた。
「──いいえ」
口ごもった。
素面では、心身ともに疲弊しきったこんな時にしか言えない台詞だ。
「……私上田さんのこと、ほんとに、とても…大事なんです。だから、大丈夫」
「……you」
髪に唇が触れた気配。深い優しい声。
こみあげてきた多幸感に耐えきれず、奈緒子は目を伏せた。




17

頬に触れた別の感触をちらりと見る。
上田がもう一方の手にタオルを掴み、涙のあとを拭いてくれていた。
「……あの」
「ん?」
「このタオル……まさか風呂場から持ってきてたやつじゃ」
「ああ、そうだが」
奈緒子は急いで顔を振り、タオルから遠ざかった。
「ちょ…っ!!なんてことするんですか。人の顔に!」
上田は複雑な表情になり、奈緒子を見た。
「俺の事が大好きで、フェラチオもセックスも遺伝子を受け入れるのも大丈夫なのに?矛盾してるんじゃないか」
「そ」
奈緒子は赤くなった。
「そういう問題じゃないっ」
「どうして。俺はyouのパンツで顔を拭いても平気だぞ」
「拭かないの!」
奈緒子は上田の胸に顔を擦りつけて表情を隠した。
どうして上田は、こうなんだろう。
大真面目のバカで無神経ではた迷惑で──もひとつついでに間抜けだけど──でもほんのちょっとだけ……。

上田がかすかに身じろぎし、奈緒子の耳に小さな声で囁いた。
「それからな」
「もういいから黙れ」
「頼まれなくても俺はyouと一緒にいる。これも安心してていいんだぞ」
「…だから、誰も……そんな心配なんか、してません…よ」
「いや。だが、さっき──」
「…………」
奈緒子は顔をあげ、恥ずかし気に微笑んだ。
「………」
上田が一瞬、見蕩れるかのように目を細めたのがおかしかった。

「あの。とっても眠いんです。少しだけ、眠ってもいいですか」
「おう」
「…あ、そうだ。そろそろ抜け、上田」
「…わかってるよ!」
「エヘヘ…」

すっと瞼が落ちた。
疲労困憊した躯はすぐにゆるやかに螺旋を描いて落ちていく。
下に。今度はとてもやわらかくて、深く優しい安堵の中に。
「……君も、ずっと、ここに居るんだぞ。you──」
遠い上田の声が子守唄のように彼女の鼓動を和らげた。
「上田さん……」

大事な人。
傍にいたい。互いの命が終わる日までずっと。
叶う事なら、ずっと。

 *



18

はっきりしなかった昨日の天気が嘘のようだ。
陽射しが玄関口の際を明るく光らせている。差し込むその角度は高い。
土間に立ち、里見は玄関の鍵を掌の中で踊らせた。

いつもの習慣で一応でも持っておいてよかった──いくら呼ばわっても奈緒子は現れなかったから。
表に若草色のパブリカがあったから、どこかに買い物やドライブに出ているというわけでもなさそうだし。
旧友たちとの会合は楽しかった。
だがもうひとつの楽しみで今朝からは落ち着かず、結局少しだけ早めに戻ってきたのだが。
「奈緒子?」
上がり框から奥のほうに、そっともう一度呼びかけてみる。
いつも書道教室に使っている奥の座敷もしんと静まり返っていて人がいる気配はない。
「おかしいわ…」
台所に入っても、そこにも誰もいなかった。
水切り籠や流し台の水気はすっかり切れ、この数時間来使用した形跡もない。

里見は腕を組んだ。眉があがる。
「……」
唇が納得を示してかすかにほころんだ。
ちら、と廊下を見た彼女は腕をほどいた代わりに肩を竦め、そちらに踏み出そうとはしなかった。
風呂敷を開きつつ、面白そうに独り言を呟いたのみである。

「教室が始まるまでに起きて来てくれるといいんだけど。……エヘへへ!」

 *

上田次郎は里見に『大事な話』を無事できたのか。
そしてそれはその午後か、あるいはそれともまた全然別の日だったのか。
よく考えずともそれは、当事者と関係者以外には激しくどうでもいい話だろう。






おわり
最終更新:2006年09月22日 20:53