文字について

異世界よりの訪問者が来たHistory世界の諸民族では、一般的にアルファベット(ラテン文字)が使用されている。
アト・アスキィでは一般的にモジと呼ばれ、太陽の島の神官語でもモジと呼ばれている。ッパ語ではレッター。
モララー族の地ではアルファベットと呼ばれる。

太陽の島

東征紀元前44年ごろに当時18歳の鬱田毒男(ウツダ ドクオ)が訪れた太陽の島では、
早くからッパ語の表記にアルファベットが使用されている
東征1年春~東征2年春ごろに完成した紙が筆記媒体として用いられ、大文字と小文字が存在する。
(黒船が来た! 2011/05/17(火) 23:13:03.46 )
大規模な文学としては、のちに童話集『ドーコンユダルタ』として後世に伝わる『ドゥーコンュダルッダ』(遠き大地の詩)が存在する。

アト・アスキィ

アルファベット

東征1年春より、アト・アスキィでシオンによりアルファベットの教育が始まった。
ラテン文字を使う理由は、文字数が大文字と小文字合わせても52文字で教育が容易というと、異世界漂流者に通じやすいということがあげられる。
覚え歌などで覚える。
文字と戦士と捕虜返還 後編 2011/02/28(月) 21:55:20.64)
教育対象はジャス、アシル、モモ、レンジ、ツーベルト、シィ族の未亡人たちの子息、ミモナなど、頭の良い子供や青少年たちが対象。
東征1年~2年ごろのアト・アスキィ大人世代には文字は普及していない。
そのため、アト・アシルでの書状の作成には、ツーベルトやミモナなど子供世代が活躍している。
いざ! 意思疎通! 2011/06/11(土) 05:48:41.93)


粘土板に刻まれたアルファベットの字形(想像図)

媒体

小話設定では東征0年春より、シオンは粘土板を使用していた。
東征1年春ごろ文字を教育する時も同様に粘土板を使用している。
東征一年4の月(夏)ごろには、竹簡の使用が始まった。墨、朱墨も開発された。
(医療技術、本格伝授 2011/05/21(土) 08:40:30.47)

その他

東征0年冬ごろ、シィ族の未亡人たちの間で記号を用いた簿記が開発されている。木の板や糸を用いる。
簿記の始まり 2011/02/28(月) 21:55:20.64)
東征1年春ごろより、遊牧などではトークンも合わせて使用されている。
文字と戦士と捕虜返還 後編 2011/02/28(月) 21:55:20.64)
シィ族の未亡人たちは月経周期を数えるために、骨にきざみをつけたタリーを用いている。
Episode - 過去を刻む道しるべ 2011/03/29(火) 23:54:19.56)
それをさらに発展させ、木の板に記号や糸の印を用いたカレンダーも開発された。
月を見上げる乙女 2011/04/03(日) 23:59:28.71)
東征一年春の指導者選挙では、陶片に×、=、○、△などの記号を記したものが使われた。
指導者選挙 前編 2011/04/14(木) 00:29:51.78)

モララー族

同じく東征1年春ごろに、モーラの地でカンリがアルファベットを使用している。媒体は粘土板。
今のところ使用者はカンリのみ
(カンリ 2011/05/05(木) 22:56:42.59)

東征1年春ごろ、カンリが若衆たちに文字の教育を始める。この当時の媒体も粘土板。マニーも文字を習得。
(カンリの答え 22-414 2011/05/26(木) 20:54:45.99)

詳細な年代は不明だが、東征1年以降のいずれかの年代で、モララー族の地で、カンリの知識により羊皮紙が開発された。
このころにはカンリ以外の人間による粘土板による記述が一般化していたようである。
(支配者のための管理の方法 23-808 2011/06/18(土) 23:26:27.42)

後世、海産村モーラルの武術大会の歴代チャンピオン名簿や、マニーが執筆し、モラーテが編纂したオオミミールのモラシスの組織名簿が出土している。恐らく粘土板だと思われるが、どの媒体が使われていたかは明記されていない。
(「神殺しのゲララー」が死んだ日 16-414 2011/05/26(木) 20:54:45.99)

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最終更新:2011年06月19日 10:22