110221-2

  • 死を思い、師を思う。

良いと思い、訳しやすいと思ったら訳すのが、グモソ語時代から続く行動パターン。

訳してみて思ったこととしては、訳す人がアルカ系の人で、なおかつぶっちゃけ語彙構成がアルカだから、必然的に語法関係もアルカ準拠で組むことになって、本人的に「違和感がない」と思える文章を組むには結構なアルカ感が必要になってくる言語だなと思った。

「かろうじて」を hino sa lat → tal ka na jomu 「入口前で耐え」としかねない。
というか、ある程度高度な文を書こうとなると、その手の言いまわしをどうしても考えなければならないから、はたして、これでいいのか不安になってくる。

jo yun rae トマトのように怒る=顔を赤くして怒る
とか、トマトはアト・アスキィの気候風土的にありえないし、何か別の赤いものを考えるか、プレーンな言い方を考えないと変になる。

セレン氏も言ってたけど、人工言語関連はちゃんと気候風土や生活習慣、世界観の類もしっかり作らないとおかしくなるわけで、作ってみてしみじみ実感したりする。

J・R・R・トールキンの場合、言語を作って、その言語の設定的にふさわしい話を作ろうとしてできたのが『シルマリルの物語』、『ホビットの冒険』、『指輪物語』で、言語→ストーリーの流れはある。
帰納的にストーリー→言語というと『星界の紋章』か。
正直、改変コピペレベル程度の技量しかない人には荷が重い。

人工言語を作りたいと言う人にお勧めのページは同じくセレン氏の新生人工言語論
http://www1.atwiki.jp/lideldmiir/

マニュアル読んで手順が分かっても、実際にできるかは別問題。
根気・体力・知力・財力・仲間・若さ、完成度の高い人工言語を作るために必要なこれらの要件がたりない。
特に根気がない。

そして、今やっていることは大体セレン氏が通った道だけど、よくもまぁ、こういう生活を5年も続けられたものだと思う。
最後には体を壊して引退だったけど、普通の人だったらとっくに体を壊すか、精神に変調をきたすはず。

最終更新:2011年02月21日 22:23