モナモーラ語死の山への思い01

2011/02/21
未来において、太陽の国(ッパラッパッパー)の初代大地の院(ッタマンウッドゥーコ)の独白が、ッパ語文献に訳され、それが幻の島(ッペッパーウッダ)のモナ語またはモララー語の文化圏に伝わり、翻訳され、後世に残ったと言う設定。
モナモーラ語001案
保管庫 : 死の山への思い

"sufl Iita at i atih"
"スフル・イータ アティ アティッヒ"
"死・山 への 感情"
「 死の山への思い 」


fakn, Bakayalooda yosht ham, aho kut go let det loyt-al.
ファカン、バカヤローダ・ヨシュト ハム, アホ ク ゴ レット デ ロイター
かつて、お怒り山 噴火 により、 私 が 多 物 を 失った
――かつて、お怒り山の噴火により、わしは多くのものを失った。

dam, le Ppala Udda na fa-ut, ti Iita ot ity sot-i.
ダム レ ッパラ・ウッダ ナ ファウト、ティ イータ オ イティ ソティ
そして、この 太陽 島 で 住めば, あの 山 から 逃 できない
そしてこの太陽の島に済む限り、あの山からは逃れることはできない。

ti Iita kut aho ktim, sutsh "sufl" aza gits.
ティ イータ ク アホ カティム、スッシュ "スフル" アザ ギ.
あの 山 が 私 にとって、 重大な "死" 象徴 だ
――あの山はわしにとって、大きな“死”の象徴だ。


lat lef, atgoa katam akt-al――lef atnatl i muwil kuut det eel-al.
ラット レフ アッゴア カタム アクター ――レフ アタナタリ ムウィル クート デ エーラー
しかし 今 懐かしい 先輩 会った――今 まで の 自分の 行動 を振り返り
しかし今、古馴染みの先輩と出会い――今までの自分の行いを振り返り。

hoy ma shit-i. ti Iita, "him" at akh-uf-ah ntoa――
ホイ マ シティ. ティ イータ "ヒム" ア アカフファー ナトア――
思わず 感 することがある. あの 山, "僕" に 問うていた かもしれない
ふと思うことがある。 あの山は、“僕”に問いかけていたのではないか――

――otkit imwit tyok-ik hoa?
――オッキット イムウィット タヨキク ホア?
――毎日 全力で 生きてある か?
――毎日を精一杯に生きているか?


――fenak kim-ik-e sok sha-i hoa?
――フェナク キミケ ソク シャイ ホア?
――完遂 できてある こと ある か?
――成し遂げられたことはあるか?

telosh-ik-e sok hoa?
テロシケ ソク ホア?
未完了してある こと か?
――やり残したことは?

usa――
ウサ――
例えば――
たとえば――

――nikl, yosht ytim-i hoa?
――ニクル, ヨシュト ヤティミ ホア?
――明日、噴火 してもよい か?
――明日、噴火しても構わないか?


"kotl-ats" nish oshm kim-e alo, him mio tuulu hif-ik-im yom……
"コトゥラ" ニシュ オシュム キメ アロ, ヒム ミオ トゥール ヒフィキム ヨム……
"自由にしろ" と 答 できる 程度, 僕 未だ 覚悟 完全にできてない けれど……
「好きにしろ」と答えられるほど、僕はまだ悟り澄ませはしないが……


ti Iita sha-e, le Udda na i onm kut――
ティ イータ シャエ, レ ウッダ ナ イ オナム ク――
あの 山 ある, この 島 で の 生活 が――
あの山がある、この島での暮らしは――


――lut kam kut sah-utla tuulu kim-e lok alo, "yok" det sutshit tyok shay-i aa
――ルット カム ク サフトゥラ トゥール キメ ロク アロ, "ヨク" テ ゙スッシット タヨク シャイ アー
――あなた さん が 暴れたとしても 覚悟 できる しか 程度, "今日" を 大切に 生 なければならない なぁ
――お前さんが暴れても腹を括れる程度には、“今日”を大事に生きんとのぅ。


lefyihi na tyok-e mug, "yok yee kit" kut sutsh-i, togosh-i nish ma-i.
レフイヒ ナ タヨケ ムグ, "ヨク イェー キット" ク スッシ, トゴシ ニシュ マイ.
今時代 で 生きる よりも, "今日 一 日" が 貴重であり、 価値がある と 感じる。
現代で生きるよりも、“今日一日”が重く、濃いように思う。

最終更新:2011年02月21日 19:43