昭和50年初頭。


愛媛県松山市の北東25kmにある、紀黒島(ちなみち、島の名前はすでに変わっているそうですが・・・)。
現在では無人島となっている島に県立高校のミステリ研究会の部員6名が夏季合宿に訪れた。
合宿自体は一週間の予定だったが、期間を過ぎても帰ってこず、連絡すらよこさないことを不安に思った部員たちの親が警察に通報。→当時はすこしくらい連絡が取れなくてもそれほど不審に思わない平和な時代でした。

そして、大規模な警察の捜索隊が訪れた島には、一人の女子高生を残し、残り5名の部員は行方不明となっていた。
島へは定期航路もなく、漁場としても問題があるため普段は船の通行はない。部員たちも漁船をチャーターしての合宿だったため、船無くして島外へ行くことは不可能。
女生徒に事情聴取してもほかの部員は殺されたというだけだった。その女生徒は精神的にかなり混迷状態にあったため、それがはたして真実であるかどうかは判別できない状態だった。
ただ、実際に彼女が指摘した保養所跡地や、洞窟には行方不明の生徒と同型の大量の血痕が残されていた。警察や消防団が徹底的に島の探索を行ったが、結局遺体は発見されなかった。
(その後の警察の調査で判明したことだが、学生がチャーターした船、そして船主は存在しなかった。一体、部員たちはどうやって島に渡ったのだろうか? 島へは船で2時間程度かかる距離なのだが)

事件の可能性ありということで、のべ2,000名におよぶ人員を動員し、2週間にわたる徹底的な島の捜索の甲斐なく、部員たちの行方は結局、不明なままだった。
さらに入院中だった女生徒も家族や警察の目を盗み、病院を抜け出し行方不明となっていた。

唯一の生存者である女生徒が失踪したことにより、警察の捜査も頓挫し、数日後には捜査本部も解散され、マスコミでもいつのまにか取り上げられなくなった。


しかし、その一連の流れはあまりに唐突で不自然だった。
一部で何かの陰謀ではないのかという話も出たが、ネットの普及した現在と違い、そういった情報が全国に流布されることもなく、しだいに人々の記憶からも事件のことは忘れられていった。

なお、この失踪事件に関するすべての捜索願は、少女の失踪後数日のうちに取り下げられている。

参考サイト

未解決事件38

無限回廊

事件史探求

 

最終更新:2013年11月04日 17:23